題した所以である。
 しかし、その時の運動会も、じつは私には愉しかった。江戸川区長の祝詞があってまず私を驚かせ、次いで専属バンドのジンタ調の「君が代」が演奏されて、いよいよ私は驚かずにはいられなかった。
 昔、吉原遊廓で何かの祝典の時、日本陸軍進撃の活人形ができ、傍らの棒杭に「大日本遊廓[#「大日本遊廓」に傍点]」と大書きされてあったというナンセンスが斎藤緑雨の随筆にあるが、この日の区長や君が代なども、おおよそ私の想像してきた色町の親睦会とは違いすぎる空気のものだからだった。
 当日の競技種目は二十五種で、文字どおり生きた鰌を掴んで走るどぜうつかみ、相合傘で走るアベック競走、男を沢市に見立てて目隠しをさせ手を引いて走る壺坂競走、大きな紅白の張子の達磨を冠ってリレーになるだるま競走、路上の大根や人参を買い物籠へ拾い入れて駆け出す買い物競争など、ことにおもしろかった。
 アベックや壺坂に出た男の人はみな原さんたちパレスの役員で、「買い物競争」には場内の電蓄から笠置シヅ子の「買物ブギ」の※[#歌記号、1−3−28]おっさんおっさんこれなんぼ――の唄が軽快に流れてきたのも、時にとっての一興だった。
 風立ってきた曇り日の運動場の一角、招待席の天幕の下で私たちはビールを煽り、ウイスキーを呑んで、寒さを忘れつつ喝采を送った。
 しかし、百四十人いるというここのダンサーの、競技に参加した人たちは概して不美人が多く、美人ダンサーたちはせいぜい一ゲームくらいつきあうか、終始、見物側へ廻っているものが多かった。
 中で、たった一度だけアベック競走へ参加した面長のダンサーが、美しく私の印象に残った。色は白い方ではなかったが、やさしい品のいい夢見るような眸《ひとみ》の色が、渡米した女優の三浦光子を思わせた。

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美しさいまだ目にのこる夜長かな
[#ここで字下げ終わり]
 会の翌日、私は原さんへこんな彼女をたたえた拙吟を礼状の終わりへ書いて送ったが、いったいどの女なのだか、原氏にも全然見当はつかないらしかった。
 ……暗い灯の下で和装洋装とりどりに踊っているダンスホールへ、やがて私たちは案内されたが、ここにも「目にのこる」人の姿はなかった。正面一段高い舞台で演奏しているバンドは、運動会に「君が代」を演って私を驚かせた楽団だろう。
 場内の壁に何カ所も、
「リズム・チークジルバー
  右 固くお断り申し上げます」
 と貼り紙がされている。いずれもアプレゲールのえげつないダンスゆえ、遊里のホールたるここでは、せめてエチケットとしてダンスだけは上品なものばかりを踊ってほしいのだと原さんが言った。ホールは毎晩八時限りで、それ以上やっていると、ダンス以外の遊客に支障を生じるからだともまたさらに原さんはつけ加えた。
 いくつかの曲が終わって、場内が急に明るくなり、ダンサーたちは花の散るように四散していった。終了時刻の午後八時がきたのである。
「先生の好きだとおっしゃる女性は見つかりませんか」
 童顔のA氏が、その時訊ねた。
「見つかりません」
 私は言った。
「じゃあ、もうひかされちゃったんですよ」
 童顔をほころばせてA氏は大きく笑った。S氏もともに笑った。私も笑った。
 その笑い声をよそに宮尾画伯一人、熱心にスケッチブックへ鉛筆を走らせている。

    二

 精工舎の寮をそのままつかっている東京パレスの五棟は、昼は元より、夜目にも殺風景でないとはいえないが、一歩、場内へ入るがいなや、階上階下の片側に打ち続く小奇麗な茶房。
 たいてい一軒に三人ずつのダンサーがいて、茶房正面のカーテンの彼方は、これまた、小奇麗な四畳半が三間ずつ、よくもこんなに器用に心憎くも設計されたものかな。しかも、昔の岡場所のような隣との間の境界が決してお寒いものでなく、薄桃色の照明、黒白の壁、その壁へシークに貼られた洋画女優のブロマイド、同じく壁にかけられている目の醒めるような派手なドレス――朱塗りの鳥籠に青い鸚鵡《おうむ》が一羽いても、決して不調和ではない、幻想的なルームである。
「荷風好みだなあ」
 見るなりA氏が感嘆の声を放った。
「荷風先生も浅草へお通いになる以前は、三日にあげず買い物籠を提げては昼間おみえになりましたよ」
 原さんが言った。
 私は、この部屋の異国風な華やかさに、中国の遊里へ漂流の日本人が遊びに行く「唐茶屋」という落語の景色を思い出していた。
 屋内に茶房が軒を並べ、その後に気の利いた寝間までできている点は、三代目小さんの十八番「二階ぞめき」の風景にもまた似ていると思って、一人微笑んだ。「二階ぞめき」は毎晩吉原をぞめいて歩かないと眠れないという息子が、自分の家の二階へ遊女屋のセットをこしらえてもらい、そこを投ケ節を歌いながら上機嫌でほっつき
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