に奇癖があって常に手淫を好み、ために妻女をも離別したほどの常習者だったが、一夜彼以外まだ誰も到着していないある寄席の楽屋で、ムラムラと味な心持ちになり、厠《かわや》へ駆け込んでしまったら、とたんに前の出演者が一席おわって高座を下りてきた。が、柳丸の、ことのおわるまではどうすることもできないので、よんどころなく幕を下ろして、その間、賑やかにお囃子でつないでいた、という。そんな原因から幕を下ろし、囃し立てているのだとはつゆ知らないで、陽気な囃子の音色にボンヤリ聴き入っていたろうその晩のお客たちの顔を思うと、じつにおかしい。
 もう一つある。京都の新京極のはずれにあった笑福亭という落語の寄席で、旧友K君。便意を催して厠に入っているうち、俄《にわか》に芸術を覚えだして、懐中からナイフを取り出すと、前面の板戸へ日頃得意とする男女愛欲図を、等身大に彫りはじめた。彫っているうちもう、落語なんかどうでもよくなったほど夢中になってきて、とうとう終演直前までかかってやっと彫り上げた由。K君は、名をいえばすぐ分かる詩壇の耆宿《きしゅく》で、今もいよいよ健在であるが、笑福亭の方はたしか戦争中の強制疎開でなくなってしまった。秘画彫りし板戸も、その時悠久にこの世から消え果てたろう。
 先年亡くなったあやつりの結城孫三郎は、同時に両川亭船遊を名のって、風流写し絵の妙手。明治初年の夏の夜には両国橋畔に船を浮かべて、青簾《あおすだれ》のうちも床しい屋根船のお客へ、極彩色の雲雨巫山の写し絵を見せたものだという。
 ……水のような夜風と、船べりを洗う川波と、熱い頬と頬を寄せて胸ときめかせながら写し絵の濡れ場に見入っている役者のような若旦那と柳橋に艶名高いうら若い美妓と、その時堅川の方へは星が一つ、青い尾を曳いてながれたろう。
 きょうびのストリツプも佳人が踊れば「絵」ではあるが、肝腎の背景とする「時代」にあまり詩がゆめが、ない。
 昔を今になすよしもがな。
[#改ページ]

    おでこのしゃっぽ[#「しゃっぽ」は底本では「しゃっぼ」]

 先日、馬楽改め八代目林家正蔵君の披露が、浅草の伝法院で催された時も、したたか酔っ払った私はこれももうすこぶるいい御機嫌になっていた一竜斎貞丈と、今は亡き文芸講談のE師についていろいろ談《かた》り合ったが、師吉井勇と飲む時にも、きっと一度はこのE師の思い出話が出ない
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