ようか。アプレゲールの花街風俗詩が、手に取るように書けている。
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天井がない待合で二百円
上海のやうな値段で芸者買
どの花街《しま》も哀れやいつ建つ草の波
行く前に三百円は小料理屋
見番の骨ばかり出来あかざ草
下肥の匂ひこれが東京柳橋
おごりなら泊るあしたは外食券
入口は喫茶、小待合は奥
三味線は郊外《こうがい》できくものになり
帰りがコワイと三人で向島
水神は目ざせど電車でさとごころ
米の値《ね》にふれて遊びの枕許
氷屋の配達に似た客二人
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カストリが青大将のような匂いでハバを利かせ(残念ながら私も飲んだが)、停電が続き、は境い期にお米でビクビクしていた昭和二十一、二年の花街があまりにも如実ではないか。
ありがたいかな、これも今は夢。
今住んでいる市川では、土地の芸者衆はお弟子にしていないが、一番の美人はスラリと痩せ型の細おもて、上背のある千代菊の由。浅草から移ってきた某という、薄手細おもての人も婉である。
幇間《たいこもち》では東川喜久八が洗錬されていて、十八番は江戸前の獅子。市川音頭も彼の作詩で例年夏の夜を、江戸川花火、七|彩《いろ》の光を浴びては妓たちが踊る。
この喜久八の実弟が、時蔵門下の中村梅花であると、この頃本人の口から聞かされた。
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東京パレス紀行
一
昭和二十六年陽春の小寒い夕まぐれ、宮尾しげを画伯、俳人S氏、温泉協会のA氏と四人で私は小岩二枚橋の東京パレス見学に出かけた。
パレスの支配人原元治郎さんが、講談落語の愛好家で、桃川|如燕《にょえん》、桂三木助、五代目小さん君らみなひと方ならない贔屓《ひいき》になり、その社会にたずさわる私もまた自然と御懇意を願うようになったその余恵である。
もっともそうしたつながりから、すでに昨年十月二十一日の創立五周年記念ダンサー大運動会にも、私は招待されて列席の光栄を有したが、その時は運動会だけで妖艶な夜の雰囲気には接しないで帰った。
戦後のこの種の色町といえば、これも昨年の暮春、わずかに吉原のおいらん道中を街上に仰いだだけで、春情鳩の街も知らなければ、立石や亀有の灯を慕ったこともない。だから、今の私には、「特飲街の探訪」と聞くだけで、なにか淡い旅愁のようなものをさえしみじみ感じさせられる。
「東京パレス紀行」と
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