点]」「落ちねぇ[#「ねぇ」に傍点]」で、「いかん」「できん」「落ちん」などは、おそらく田舎官員か芋書生の用語として、子供心にも私たちは軽蔑していた。
ところが星移り、物変わり、春秋ここに四十年――ふと顧みると、いつか私たち純下町人までが、平気で日常用語の中に、この「いかん」「できん」「落ちん」を連発するようになっていたのだから、オドロク。
これは、この間もくせい[#「もくせい」に傍点]号で不慮の死を遂げた大辻司郎君の、
「ボクは絶対にできんデス」
などと言うあの同君一流の表現のヒットしたことなども、こうした用語の流行に拍車をかけたのかもしれないが、まさしく亡き岡本綺堂先生が『自嘲』に前書きされた、
[#ここから2字下げ]
トンカツを喰ふ江戸っ子が松魚とは
[#ここで字下げ終わり]
で、ひそかに苦笑せざるを得ない。
さて、物語は、我ら江戸っ子全体が「いけない[#「ない」に傍点]」「できない[#「ない」に傍点]」「落ちない[#「ない」に傍点]」と正しく美しい発音を常としていた。もちろん御一新以前の、弓は袋に太刀は鞘、松風、枝を鳴らさなかった御代太平の昔である。
京橋鉄砲洲の西に松平遠江守の上屋敷があり、一日、そこの奥女中が言った。
「あのゥ、鉄漿《かね》が落ちて仕様がないんです。誰かに鉄漿の落ちない粉を買わせてきてくださいません?」
鉄漿とは、お歯黒。昔は、歯を黒く染めることが、女性の一つの身だしなみだったのだ。
※[#歌記号、1−3−28]誰に見しょとて紅鉄漿つけて、みんな主への心中立て――と、長唄「道成寺」にもある。
「何買い物か、よゥし拙者まさに引き受け申したぞ」
すると、即座に引き受けてしまったのが、折あしく近頃お国表の尼ヶ崎から江戸詰になったばかりの奥役人。すなわち、「いかん」「できん」「落ちん」人種のパリパリだった。しかしまた彼のことにすると、底意地の悪い、オールドミス揃いの奥女中たちに睨まれては大変と思ったからだろう、さっそく走り使いの男を呼び寄せると、お国訛りもものものしく、
「コレコレ急いで鉄漿の落ちん粉を買ってまいれ!」
と命令した。
「心得ました」
とすぐさま飛び出していったその使い。ところがそれっきりいつまで経っても帰ってこない。
(何をしていくさるのじゃやら)
いよいよお国訛り丸出しで奥役人ヤキモキしていると、やがての
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