中世から大正初世かけて「ムジナ」の異名で謳われた都々逸坊扇歌(先代)に至っては、七度も廃業しかけたと自伝中に述べている(人生行路の苦しさよ!)。
おしまいに、「落ち」をつけよう、「青春録」らしい落ちを。
それとてすでに数年前になるが、戦後新春、銀座街上でたまたま往年の宝塚スターに呼びかけられたが、老残衰貌、今も女優をしていながらも悪疾あるエキストラの夫をかかえて見るかげもなく、私は目をそらすのに骨を折った。少時、大好きだった初代松旭斎天勝の晩年に会談した徳川夢声君は、
「初恋の人に三十年も経って逢うものじゃない」
と書いておられたが、その時の私の幻滅はまさにまさにそれ以上のものだった。
でも、ただちに自棄《やけ》酒をひっかけるべく、当時の日本には、幸か不幸かまだ自由販売のお酒がなかった……。
底本:「寄席囃子 正岡容寄席随筆集」河出文庫、河出書房新社
2007(平成19)年9月20日初版発行
底本の親本:「艶色落語講談鑑賞」あまとりあ社
1952(昭和27)年12月刊
※「軽気球」と「軽気珠」の混在は底本通りにしました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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