日のことにすると、馬鹿馬鹿しいほど、華やかなものだった。「サンデー毎日」「週刊朝日」の裏表紙の半分を割いて、大きく私の写真が出た。その頃の両誌は、ちょうど今日の倍の大きさだったのであるから、つまり今日のあの「週刊朝日」「サンデー毎日」一頁全部に私の広告が出たということになる。でもその当時はそうたいした宣伝だとも思っていなかった。正直のところが――。
話が相前後するが、この前年から私は三遊亭圓馬の門を叩いて、ことごとくその神技に傾投、間もなく圓馬の忰《せがれ》分となり、また圓馬夫人の媒酌で世帯を持つことになった。芝の協調会館で催された第一回ナヤマシ会(たしか大正十五年早春)へ私が臨時出演したのはその直前である。私はたいそう酔っ払ってテーブルの上へ座り、「気養い帖」一席を熱演したまではよかったが、そのあとまた二度高座へ上がって落語家の物真似とまた何か演ったので満員のお客をだいぶ追い返してしまい、文字どおりナヤマシ会の実を挙げた。飛び入りの三度上がりなどはお客の帰るのが当たり前で物心ついてからでは到底頼まれてもできない芸当、「猫久」の侍ではないが、我ながら天晴れ天晴れ感服感服の至りである。この時古川緑波君、いまだ早大の学生服を着て来演、二十余名の活弁の物真似(声帯模写という新名称を、同君はこの時もう考えているのだったろうか)を演じて大喝采を浴びたのだから、前述の華やかな宝塚出演はこれから何年ののちだろうか。『ロツパ自叙伝』が今手許にあると仔細にわかるのだが、あの本は戦災死した高篤三が死の直前たまたま私のところから持ち出していって、ついに彼と運命をともにしてしまったから判然としない。もっとも緑波君自身はこの旧著のことを言われるのがたいそう嫌いだから、私を通じて親しくなった高篤三といっしょにあの本が灰となったことは、かえって安心するかもしれない。
のちに私が大谷内越山翁に話術の教えを仰いだ時、中学校の英語の教師から講談界に身を投じて露伴の「五重塔」、紅葉の「金色夜叉」、鏡花の「註文帖」「高野聖」、風葉の「恋慕流し」、涙香の「幽霊塔」、綺堂の「木曾の旅人」(この間、六代目と花柳章太郎君が演った「影」の原話である)を自在に使駆して文芸講談のジャンルを開拓した同翁は、やはり世の中には次々と自分のやったことの後継者が出てくるものだと私の志している道をたいそうよろこばれたが、今日、東西の落語界には、私の側近から桃源亭花輔(今日の梅橋)、三笑亭夢楽[#「夢楽」は底本では「夢薬」]、桂米朝君その他、文学徒の落語家が続出してきているし、私はいまだいまだあの頃の越山翁より十幾歳も若いが、今やほとんど同様の感慨に耽らざるを得ないのである。
ところで圓馬の忰になって本行どおり「寿限無」を教わった時の詳細はそっくりそのまま「寄席明治篇」というかつての長篇小説の中へ描写してあることを、この際ここで白状しておこう。孤児の私は、心から圓馬の芸と人とに傾倒し、ほんとうの親のようにも愛慕していた。圓馬夫人もまた近所の人たちに「おっちゃんが若い時東京で生ましてきた子なのやで」と言っていた。そう言われると近所の人たちも「ほんによう似てはる」と言ったものだ。が、師父圓馬と私とは若き日の谷崎潤一郎氏のごとく似かよってはいず、圓馬は角張り、私は細長い顔立ちであるが、濃い太い眉と、険しく大きい目とだけはいささか似ている。初手から父子だと踏んでかかれば、それでもどうやら見る方では勝手に類似点を発見して肯《うなず》いてくれるものなのであろう。でも残念なことに肝腎の私が圓馬夫人の手引きで持たせてくれた家庭の方は全然うまくいかなかった。私はあくまで圓馬好みの意気なおかみさんが選ばれてくるものと安心して一任していた。まして相手はさる遊廓なにがし楼の娘だというのでいよいよ安心しきっていたところ、そうしたところの娘なのに雁次郎をいっぺんも見たことのないという風な女が私と生活をともにしだした。圓馬夫人は文士というのは学者のような堅苦しいものであると確信し、その文士の中でも私のごときは進んで芸人社会へ飛び込んでいったりしている変わり種の存在であるという点を、当初に計算してかかられなかったため、いたずらにお互いが悲劇を将来してしまったのではある。
いや、こう書いたら、その前にあなた方は言うだろう。かりにも正岡容ほどの侍がそんな青春二十一や二でいくら圓馬盲拝の結果とはいえ、どうしてくだらなく平凡な見合結婚をしてしまったのだ、と。仰せいかにもごもっともであるが、まあお立ち合いしばらく待ってください。人間目がでなくなるとこうもどじにいくものかと自分ながら呆れるほどその時代の私は人生万端駄目に駄目にとなっていき、つまり私はその相次ぐ不幸の連続にもろくも惨敗してしまったのである。まずその最初がこうである
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