とんと沙汰するにはおはぐろ溝の棧橋(刎橋)は、持つて来いの廓への近道だつた。
吉原の一廓は溝でぐるりと、囲まれてゐたので、廓内から廓外へ出る便宜の棧橋に渡されたものが家々の溝に面する裏口から架けた刎橋で、これにはつくり附けの、つまり架けつぱなしの「橋」といふ構造は一つも無い。皆刎ね上る刎橋、いひ代へれば「板」で出来たもので、必要に応じてその板を紐の操作に依つてこつちから向うへと渡す。(時間決めで暫くは橋は架かつたまゝにしてあつたものも中には在つたといふ。)そして刎橋の特徴は、それを廓内から廓外へすとんと架け渡すことは出来ても、外から内へと渡す仕組には造れなかつたことである。これは昔の城廓の刎橋と同じことで、刎橋の一番の意味と面白さがこれであらう。廓の外寄りのおはぐろ溝の岸には、一つ一つ、廓の内から架かつて来る橋板を受け留める台があつた。この台の設備なり仕組みが疑問だつたのである。
――然し、いくら古老の口で聞いてもよくわからず、考へて見ても無論一向わかる筈のなかつたものも、それを写された「絵」で見れば、一目瞭然とするのはありがたいことだつた。実は昔のその実地の写生画が見付かつたので[#「実は昔のその実地の写生画が見付かつたので」に傍点]、忽ちこの疑問は近ごろ解けたのだつた。正岡容君から世事画報臨時増刊の新吉原画報といふ雑誌をこのためにわざわざ恵送された。明治三十一年九月発行のもの、その口絵の一枚に、おはぐろ溝といふ題で、尾竹国観の写した図が載つてゐる。これに、かゆい処へ手の届くやうに、刎橋の構造が残らず写されてゐた。そして思ふに、在りし日のおはぐろ溝の刎橋とその受台をありのまゝに図したものは、偶然の写真でもなければ、この国観の絵が世の中に唯一枚のものであらう。
図について見て頂きたいと思ふ。
[#「刎橋の受け台」のキャプション付きの図(fig47731_01.png)入る]
底本:「東京の風俗」冨山房百科文庫、冨山房
1978(昭和53)年3月29日第1刷発行
1989(平成元)年8月12日第2刷発行
底本の親本:「東京の風俗」毎日新聞社
1949(昭和24)年2月20日発行
※図版は、底本の親本からとりました。
入力:門田裕志
校正:伊藤時也
2009年1月6日作成
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