両国今昔
木村荘八
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)群《かた》まり
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|群《かた》まり
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(例)各抛[#レ]物為[#二]纏頭[#一]
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櫓太鼓にフト目をさまし、あすは……といふけれども、昔ぼくが成人した家は、風の加減で東から大川を渡つてとうとうと回向院の櫓太鼓が聞えたものだつた。ぼくの名は生れ落ちてからこれが本名であるが、この荘の字をよく人に庄屋の庄の字と間違へて書かれることがある。昔は川向うの行司木村庄某あてのハガキや手紙が番地が不完全だとぼくの家へ舞込むと同時に、ぼくへの通信がまた一応両国橋を向うへ渡つて附箋をつけて戻されたことなどあつた。両国はぼくの故郷である。
しかし近来の両国はぼくにとつては全く勝手のわからない、甚だ縁の遠いものになつてゐる。第一、自分があの地域のどの辺で生れたのか――ぼくは日本橋区吉川町一番地といふところで生れたのだが――現にあの辺へ行つて見ても、ほとんど見当が付かない。実はアハレないことにはそれでも多少は見当が付かうかと、性懲りもなく、今までに二三遍、浅草橋界隈を歩いて見たことがある。そのたんびに益々分らないのである。――近ごろでは東京の「両国」といふところは少々ぼくにとつて不愉快な存在の、どうでもいゝところになつて来た。
――それがやはり性根は故郷忘じ難しといふわけなんだらう。偶々筆を執つて「両国」を念頭にする、材料にするのは、私にとつてうれしいのだ。
この心持は果して何だらう? たゞのセンチではないやうであるが、ひつきやう、自分の生活には過去も、現在も、未来も恐らく浸み透してゐる、生れた土地の記憶や実感。少くもぼくといふ人間はその実感を以て初めてジンセイといふ奴を呼吸した。その匂ひであらう――これがぼくをハウントするらしい。
この頃のやうな寒風のつのる日は、ぼくは昔から目の性がわるいのでボロボロ頬に涙を流しながら、しかし正月は凧といふ手があるので、朝起きて風さへ吹いてゐれば、決然としたものである。といつても、往来や広つぱで揚げる凧はぼく達には無く、足袋はだしで吹きつさらし
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