館、三番地(勧業場)。横浜勧業銀行東京支店、五番地。古矢カマ、八番地(産婆)。両国恵比寿屋本店、九番地(餅汁商)。紀文堂、九番地(煎餅商)。」
 元柳町は吉川町の隣りの町であるが市役所の「東京案内」に、
「元柳町、昔時幕府の同朋が受領したる地也、その柳原の末にあるを以つて下柳原同朋町及新地と称せり。明治五年四月柳橋の傍にあるより今の名に改む。里俗元と表町裏町の称ありたり。神田川北を流る。」――かう説明される土地である。

 ぼくのつまらぬ書きものがこんな時節外れにも拘らず読む人を持つてゐると聞いて、却つて気がひけて来た。ぼくはたゞ自分の書き反古を以て、それを活字に拾つておいて貰ふ気にすぎなかつた。ぼくは文学者でないに拘らず文字でないと記しにくゝ伝へにくい、一種の材料として大変いゝもの[#「大変いゝもの」に傍点]を持つてゐるやうである。材料はたしかに公刊書の印字に付しておいて無駄でないものなのだが、いかんせん、その調理法については、ぼくでは間に合ひにくいものがあるので、かねがねわれながらこれを遺憾に思つてゐた。今も同じ遺憾のまゝこの記を草するのに、土地はその後再三の地変災厄を経て、一物の昔をしのぶよすがもない。筆者がぼくでなく、ちやんと文章のてにをは[#「てにをは」に傍点]に年期を入れた人の、この材料であつたならば、さぞやすぎ去つた両国界隈の面影は見る見るこゝに丸彫りに浮び上つたらうに。――心残りである。



底本:「東京の風俗」冨山房百科文庫、冨山房
   1978(昭和53)年3月29日第1刷発行
   1989(平成元)年8月12日第2刷発行
底本の親本:「東京の風俗」毎日新聞社
   1949(昭和24)年2月20日発行
※図版は、底本の親本からとりました。
入力:門田裕志
校正:伊藤時也
2009年1月6日作成
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