これは素人眼の云い方ですから、間違っていれば取り消しとしますが、染五郎の碇知盛の隈は、脳天の青黛からかけて、眉毛の黒が薄過ぎたように思います。殊に今の舞台の照明度は相当明るいから、随分思い切った色目の隈取りでないと、飛ぶ[#「飛ぶ」に傍点]ものではないでしょうか。
 しかしその強い色度の[#「強い色度の」に傍点]隈取りを顔にしっくりと乗せようが為には、そこで地顔を舞台顔へと判然区別しなければならぬ、あきらかに一つの芸――「芸」の発端がここから初まると思われます。地顔のイイオトコ位の材料を後生大切にして舞台へ出発した日には、聞違いが起るだろう。
 昔の団十郎と云ったような人の顔立ちを見ると、その眼と云い、口と云い、断えざる陶冶訓練の為に、地顔は殆ど「奇形」と云わんばかり、世の常ならぬ相貌となっています。これは半ば天性もあるのでしょうが、「奇形」変貌の大半は、後天的操作に依るところと思います。
 古い俳優――古名優――では、私は親しくは源之助と羽左衛門とに、何回か互の間三尺とは隔てずに対座した経験を持っていますが、源之助の切れの長い眼の美しさなどは妙な云い方ながらそのまま「絵」のようなものでしたし、羽左衛門の顔の「皮膚」総体の美しさは! 或る時は或る小座敷に新派の河合と羽左衛門と並んだ場合に見て、訓練はこれ程のものかと驚いたこともあります。新派切っての立女形の河合も、橘屋と並ぶと、素人と玄人程に離れて見えました。――昔の俳優の生活日常では、それ程、舞台顔がむしろ地顔へと燻染していたものと見えます。
 広太郎改め友右衛門の戻り籠の禿は、――この人は地顔の眼の小ささがそのまま舞台顔へ乗って、冴えません――切角の廓話しの禿が、何所か多分鬘の操作がわるい為でしょう、後頭部の生えぎわからかけて横向きの頭部に「女」になっていない、地あたまの、男の苅り上げが覗きました。
 カブキは古くあれと云う意味で云っているのではありません。舞台の顔は平素の顔とは別であれということを云っているので、この「芸」の条件は、古今変らぬと思います。そして訓練に訓練を重ねられた昔の俳優の「顔」には、さすがに世の常ならぬ、そこに「歌舞伎国」の面相を現したものが多かったと、この意味では、今人よりも古人を偲ぶこととなります。団蔵と云ったような人の顔は、その舞台顔だけへ精魂の籠った、そのままの「芸術品」と呼ぶべきものでしたろう。太十の夕顔棚のくだり「現れ出でたる」などは、あの蟹のようだった武智光秀の面相が、笹を押しわけて、そこへ湧き出したように大きく、すご[#「すご」に傍点]かったことをおぼえて居ります。
 三月の扇屋熊谷で、幸四郎の熊谷が編笠深々と出で立つのを見ると、さすがにこの舞台姿は、そのいなり[#「いなり」に傍点]のままで既に獲易からざる眼福なることを思います。とどこの熊谷は、姉輪に迫られて,堂々たる名乗りと共に、舞台正面を切って、その深編笠をとります。
 私は前にもこの扇屋熊谷をこの人で見たことがあります。
 久しぶりの今年の四の党の旗頭は、なんと、年経ったことでしょう。――幸四郎あたりは、云うまでもなく、その「舞台顔」の成り立った人でしたが、さりながら、老いた[#「老いた」に傍点]と思いました。その老いて全く別人のように変った「顔」を熊谷の次郎が編笠を取って見せた時に、カブキ世界の時代は、はっきり代った――代らざるを得ない――と私はひし[#「ひし」に傍点]と思いました。



底本:「日本の名随筆40 顔」作品社
   1986(昭和61)年2月25日第1刷発行
   1997(平成9)年5月20日第12刷発行
底本の親本:「木村荘八全集 第六巻」講談社
   1982(昭和57)年7月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年12月12日作成
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