ないかも知れなかつた……
 たゞ人と人との間のカン、或ひはウマといふものは、これは有るものである。ヘンな事をいひ出せば、そのカン故に初めて相逢つた異性同士が存外そのまゝ偕老同穴の契りを結ぶこともある世の中だ。少々我田引水めくけれども、ぼくは逢つてゐることではちよくちよく鏑木さんに逢つてゐる。そして常にカンが働き、ウマが弾み弾みしながら、この人はかういふ人だと思ふ。その第一には、この人の持つてゐる言葉はぼくには字引無しでも読めさうだ、と、ウマが恐れ気もなく鏑木さんの胸中に飛び込んで、はしやぐのである。
 ――そしてこれは、弓矢八幡、人の世に外れつこないと信ずるものである。
 曾て鏑木さんは盗賊にはひられた時に、その翌日の新聞談話で、何でもお宅の忍び返しのところか何かを仰向いて見て居られる写真が出てゐたやうに思ふのだが(そしてその頃はまだぼくは先生のお宅を知らなかつた)、
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白浪の退くあと凄し秋の月
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秋の月だつけか、冬の月だつけかはつきりしないが、此のたしか九代目団十郎の矢張り盗賊に逢つた時の所懐を新聞の人に示しながら、「たいした事ではありません」と却つて恐縮らしくいつて居られる「賊鏑木清方画伯邸に入る」三面記事を見たことがある。
 ぼくはこの記事を見た時に、何だかこれ程気に入つて愉快だつたニュースはなかつた。寔にをかしな少しトボけたイキな泥棒であるし先生である。が、盗難事件には相違ないと思ふまゝに、先生へ御見舞の手紙を出すと――ところがそのぼくの手紙は却つて御祝ひのやうな文調だつたかも知れなかつた――程経た頃に鏑木さんからハガキが来て、それにはちやんと印刷文で盗賊見舞に対する叮重な礼状が認められてゐた。そして一隅に先生の字で「今頃こんなものを出してすみません」といふことが添記してあつた。
 ――万々これが鏑木さんの人柄の一面だと思ふのであるが、賊に見舞はれてどつちみち異常でゐながらも、団十郎の句へ連想の動くを止め敢へず、これを新聞の人に淡々と話したまゝさて方々から見舞状が来ると結局それに対して律義に礼状の印刷を御こしらへになるところなど――この盗賊奇聞は小さいことでそして突発事であつたが、それだけにこれに応変臨機のこたへをなすつた鏑木さんは、恐らく予め用意深く対処なすつた事々の場合よりも一層よく、鏑木さんの「持味」を発露
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