匂ひも身近く毎号聞きわける親しさで接してゐた。そしていふまでもなくそれ等の「匂ひ」の中には、わが鏑木さんは珍しからず墨絵なり色絵を介して、ある芝居の座附俳優が常にこの座の定連の見物人にとつて顔なじみであるやうに、親しくいつも登場された。「清方ゑがく」はそんなわけで、年少以来ずつとぼくになじんで来たのである。
 ぼくは勿論後に「上野」へ登場された場合の鏑木さんを知つてゐる。これは時経つにつれてぼくも亦上野の人間となつた関係から、ある時は口幅つたく批評なども申しつゝ時と共にいよいよよく知るに至つたけれども、「親しさ」と従つてその無垢の愛情から「なじんだ」鏑木さんの度合ひは、もしかすると、上野以前の方が濃やかなものがあつたかもしれない。
 当時ぼくは生家の土蔵の中二階を自分の室として当てがはれてゐたけれども、そこは日当りのいい竪六畳程の小室で、開け閉ての度びに特殊な重い音のする太い棧で出来た頑丈な金網の戸を持ち、畳はつるつる滑る板敷きの間にそこだけ凹んだやうになつて何枚か敷き込んであつた。これに立てこもりながら、長々と室一杯の日なたにねそべつて、鏡花本の風流線であるとか同じく三枚続、通夜物語等々、新装された諸本を、飽かず楽しんだ「夢」は、忘れ難いものがある。
 殆んどその何れの「夢」の中の本にも随伴してゐる――否随伴しなければならなかつた――「清方ゑがく」が、同様、忘れ難いものであることは、すでに云ふまでもない。
 ――しかし、かういふ回想風に渉る鏑木さんについての書きものは、一度何かに記したことがあるので、今それがつい手許に無いからどういふ工合に書いたか細かいことは忘れてゐても、要するに書く一筋は同じところへ出よう。どつちみち一度書いたことのある材料は筆興も続きにくいし、第一、当の鏑木さんその方に対して同じ回想記を再び綴つて御覧に入れることが気が引ける。「清方ゑがく」回想記に渉つてはこゝには省略するつもりである。
 回想記は省略しても、「回想」の値打ちだけは一言しておかう。それは「清方ゑがく」明治中期から後期へかけての、鏑木さんのぼくなんかに与へた記憶なり回想が、偶々ぼくならぼくの「私感」一個に止どまらない、貴重な客観性のある明治時代史の一節だといふことで、これはかうぼくが述べることによつて、無言ながら、これに賛成する方は、立ちどころに相当の数を困難でなく見出すことが出
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