立派な堂塔が年月によつて自然に壊れて行く荘厳さを思はせる。既に余程前のことだつたが谷崎さん(潤一郎氏)が露伴翁の活動にこと寄せて、今先生が現に筆硯に従つてをられる壮観といふものは、劇界に例へていへば、市川団十郎がなほ健やかに舞台を踏んでゐる奇跡と同じことだと、はつきりいはれたことがあつた。谷崎さんがこのさん嘆を新たにされてから、なほあとに、老先生はいよいよ仕事を残されたのだから、だう目すべき貴いことだつた――文豪の国葬をといふやうな声のあるのも道理である。
 われわれ年輩のものも、「ひとり」で置いておくと、互ひに四十、五十ともなれば「年とつた」感慨無きにしも非ず、ところが露伴先生のやうな大存在をかたはらにして思ふと、ほんの小僧つ子の、「これからだぞ」といふ式の「勇気」を鼓舞激励されるのは、錯覚かもしれないが、必ずしも間違ひではない。又こゝに奇妙なことには、とうにその昔「紅露時代」を荷なはれた先生が亡くなられたことは、それが「今」ではなく、紅露と並んでうたはれた時代の立役団十郎、菊五郎などの死んだのが、又々逆に「昔」ではないやうなまじり合つたアナクロニズムを感じることである。団十郎は兎角
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