い湯がわくやうに、町のシンは沸々と色めいてゐる。――ちよつと東京市内では他に似た感じの求めにくいものである。ぼくの乏しい連想でこれに似た感じのところは、京都の島原。それから強ひていへば、阿波の徳島の遊廓、三浦三崎の遊廓。さういふものに似てゐる。市街地からエロティシズムだけ隔離して場末の箱に入れた感じだ。色気が八方ふさがりの一劃に封じ込まれた為め、町が内訌してゐる塩梅だらう。
 昔の芝神明の境内の花街だとか池の端あたりは、矢張り暗いむすやうな中に極く色つぽいものだつたが、四通八達のなかに在るので、空気の通るものがあつた。濁つてゐず澄んでゐた。
 断つておくが、洲崎の印象はその時ぼくの受取つた極く素直な客観であつて、微塵も主観ではないといふことである。平たくいへば、ぼくは一向その時色気を兆してゐないのに、町全体、家々に、自づから色気があつて、それが感じられるといふ意味。――
 すると、飛躍して人が色つぽくならうが為めには、新宿や吉原等の職業地よりも、洲崎は当時絶好のコンディションに置かれてゐたものかもしれないと思ふ。――しかしさう思ふそばから直ぐとこれを否定にかゝる客観にいつはれないものゝ
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