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 後に小杉さんは院展の大正四年春期展に――この絵は特にこれをこゝに引用する意味ではなく、偶々手許に図柄のよくわかる複製があるので、いふことが書き良いから、そして結局書くことは他の小杉さんの代表作についていふところも同じになるから、便宜上、これについて述べる――「鵜飼」といふ絵を出してゐるけれども、この仕事は「構図」とその装飾意義に画因なり仕事の趣意の大半のあるもので、これを構成するメチエはまた「線」に大半を負ふものであるが、評家のさきにいつたといふ「シャヴァンヌの画趣」は脱したもので、日本的となり同時に小杉的となつたものである。そしてそこに功罪倶にあるものと思ふ。「功」は作者が洋学をこなしてこの新地開拓に至つた点にあること、申すまでもなく、また「罪」は、その洋学からの脱却し方にある。作者の個性、あるひは境地は逸早くこの脱却し方に依つて樹てたらうけれども、「絵画」の本質は、これによつて多く得たか或は損失したか、暫く疑問としなければならない。
 次のぼくの耳食も亦聞き誤りなりとすれば改めるが、小杉さんは「油絵の写生といふ奴が苦手だつた」。これは、ダプレ・ナテュールのリアリズ
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