南平、岡部天籟、かういふ人々があつて、皆筆硯忙しく今日の字でいふ「報道班員」の仕事を競ひ合つたものだつた。――やがて、十年後の「小杉未醒」と、昔の同僚とでは、(小杉さんがこしらへたものではない)遠い開きが付くことになつた。
 ぼくはしかし「完成した」とはいつたけれども、美術を完成したとはいはない。小杉さんは先づ、「未醒」を完成したのであつた。そしてぼくに暴言さすれば、これが余人だつたら、小杉さんは颯爽絢爛たる「未醒」の幕の中で、相当安らかに眠つてしまふこと無きにしもあらず、小杉さんに美術と人生に対する求道が乏しかつたならば、到底人はよく「小杉未醒」から「小杉放庵」へと再蝉脱することは出来ない。普通人生ではこれは考へられない。「未醒」既でに画壇の大名である。しかし美術から云へば、到底「未醒」までの見識、発見、業績、態度では尽さなかつたところを、「放庵」以後の小杉さんには、――こゝに注意すべきは、その時小杉さんの手に持つた彩料は、洋彩でなく[#「洋彩でなく」に傍点]、和彩[#「和彩」に傍点]だつたといふこと――ぼくは小杉さんの描く油絵も、少くも、春陽会以後のものは「洋画」とは考へてゐない。
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