した。
 北山君は手紙を見ると直ぐにぼくを「いろは」へ訪ねてくれましたが、ぼくが大屋《だいおく》の中に画架なんぞを立てゝゐるのを見て、「君達のやうな金のある人でないとこれからの洋画は却々難しい。斎藤与里君も……」と、ぼくの考への逆の話を初対面早々に切り出しましたから、弱つて、「さうではない、その反対なのです」と事情を語り、君の社の社員に使つてくれないかといふことを頼みました。
 北山君は快諾してくれました。月給五円で別に家を借りて当てがつてくれて、飯を食はせるといふ好条件です。それで、ぼくは別に家を出て、小石川江戸川町の、北山君の世話をしてくれる家の二階に住むこととなつたのです。――北山清太郎には終生の恩があります。
 北山君の世話になつてからは、毎号「現代の洋画」に原稿書きをしました。木村荘八を始めとして木村章、黄紫生、秋羅、歌川真研、SK生等々、いろいろのペン・ネームによるものを。――一体ぼくは相当古くから文章かきのやうなことをしてゐますが、雑誌や新聞への投書にはじめ青木哲、黒戸盛夫、木村潮騒など、劇評のやうなものに五郎丸など、却つて本名の木村荘八を持ち出したのは、フューザン会後に
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