この酒はすつぺえとでもいつたのが、岸田にたちまち霊感したのだらう。土佐堀の油なめ小僧といふのは画商森川喜助である。森川君の酒席におけるおとなしやかの面貌、生けるが如し。
 岸田は蚕が糸を吐くやうに喜々として之らの絵を作りつゝ、面白くて面白くて仕方がなかつたに相違ないと思ふ。この絵の紙背からその岸田の喜々たる笑ひ声を如実に聞くやうに感じ、ぼくはこの化けものづくしを見てゐるうちに、昔懐しく、あとで大変寂しい心持となつた。
 後記
 この文章は、雑誌に掲載された頃から故人の日本画についての手引になるといふので、画商の専門家の間などに特に読まれると聞くので、責任も一しほ深いから、わざと一通り原文のまゝここに再録して、後記、即、「訂正」を添へるものである。
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一、岸田が岩絵の具を使はなかつた[#「使はなかつた」に傍点]と読める工合にかいた個所は、「使ひ馴れるには至らなかつた」と改めたい。岸田は岩絵の具を使つてゐる。(勿論、岩絵の具の使つてある真作があるのである。)只この彩料世界はまだ自由自在といふまでマスターするに至らない中に倒れたのと、元々をして岩絵の具を要求する画境は行つてゐないのとで、膠など完全でなく、表装の為に水をくぐると、そのまゝ落ちた岩が大分有る。――画面にさういふ跡があれば、右に基づくものである。作品にとつては殆んど画品の障りとならない。
二、この墨は曾て一度河出書房から出た岸田の「美の本体」といふ本の表紙に、その絵模様の載つたことのある「永楽初造」明墨であるが、極上質のもので、恐らく元のまゝ岸田家に襲蔵されるものだらう[#「恐らく元のまゝ岸田家に襲蔵されるものだらう」に傍点]。といふのが、石井鶴三の求めたものといふのは、それが矢張り岸田と同じ時分で、品は違ふ、同形式、同質のものだつた。石井鶴三の話には(墨商も双方同一人であつたが)、墨商が岸田方へ行くと、岸田は当時猶墨には殆んど手を出さなかつた「初心」なるに拘らず、いきなり品物の最上品を取つたので、その買いつぷりに、墨商は感服して、石井鶴三に岸田のことを話したと云ふのである。鶴三はすでにその時墨の道は古かつた。
三、岸田を銀行のむすこと思つたといふのは正に一口噺にもならぬ滑稽譚であるが、周知のやうに、岸田の父君は、明治時代の先覚の一人として著聞する吟香先生である。岸田劉
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