子 だつて、おかみさんが、あんなに言ふんだもの。
弟 彼奴は畜生だ、だに[#「だに」に傍点]だ。
沢子 そんな事、大きな声で言つてはいけないわ、恵ちやんだつて、まあ厄介になつてゐるんだから、もしも――。
弟 (泣く様に)さうだ、厄介になつてゐる。
沢子 ――それに、どうせ、私の身体は、いつまで休んでゐたつて、スツカリよくなる身体ぢや無いしね、私やつくづく――ほんとに――(声を立てないで泣く)
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短い間
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弟 沢ちやん、お前、泣いてゐるの?
沢子 いゝえ、――泣いちやゐないのよ。泣いちやゐないのよ。
弟 ――工場であんな事にならなきや、よかつたんだ。俺の眼がこんなにならなきやよかつたんだ。そしたら俺が。
沢子 ほんとにねえ。
弟 そしたら俺が、皆をどうにでもしてやつてたんだ。姉さんだつて、こんな――。
沢子 しかし、恵ちやんの眼が開いてるたつて、仕様が無かつたのよ。――つまりが金なんだから、金には勝てないもの。
弟 ――どうにも仕様がない? ――さうは思はないんだ。俺、さうは思はないんだ。――そりや金は無いけど、眼が見えてゐたら、俺、殺してやるんだ。――あの畜生だとか皆の処へ来る水兵だとか職工だとか、書生だとか、船の奴等なんぞ、みんな、打殺してやれたんだ。――俺あ、何もかも知つてゐる。
沢子 ――
弟 姉さんは俺を一人前のあんまにしてやるために、夜になるとお師匠さんとこへ行かせるんだけど、だけど、それだけのためぢやないんだ。(間)姉さんは自分達が何をしてゐるかを、俺に聞かせたく無いんだよ。俺に知らせたく無いんだ。――しかし俺はみんな知つてゐる。――知らないでいゝ事まで知つてゐるんだ。――俺が人の肩につかまつてあんまをしてゐる時に、姉さんや沢ちやん達が何をさせられてゐるか、俺は知つてゐるんだ。すると、俺は人の肩なんぞもんでゐられない。――肩の骨をへし折るほど強くもんでやるんだよ。――その内にへし折つてやるんだ。
沢子 そんな事してはいけないわ。秋ちやんが心配してよ。秋ちやんに心配させまいと思つたらそんな事しないで、早くおとなしく勉強しなきや駄目よ。――それに恵ちやんが、どんなにくやしがつたつて、おいそれとは、どうにもならない事だもの。
弟 さうだ、どうにもならない――だから俺は。(眼を押へる)
沢子 それよりも、早く立派なあんまさんになることよ。そしたら姉さんだつてこんな所にゐないでもよくなるわねえ。
弟 世間の奴は、みんな畜生だ。俺と姉さんを置いてきぼりにしたおやぢ[#「おやぢ」に傍点]とおふくろ[#「おふくろ」に傍点]が第一畜生だよ。畜生!畜生!
沢子 そんな、それは恵ちやんにはまだ解らないわ。どんな訳があつたかも知れない。――私にだつて国には子がゐる。――もう三つになつてゐるわ。それに母親がこんななんだから。(寂しく笑ふ)
弟 何と言ふ名だよ?
沢子 忘れてしまつたわ。――いゝえ、忘れてしまはうとしてゐるの。だから、言はないで頂戴もう――。
弟 逢ひたいかい?
沢子 (寂しく笑つて)無いわ。いゝえ、逢ひたく無いわ。――逢はない方がいいわ。
弟 その子も、俺の様に封筒張りをしてゐるね?
沢子 さあね、しかしまだそんな事出来ないから――。
弟 いゝや、きつと封筒を張つてるよ。
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沢子 しかし恵ちやんは、秋ちやんの様にいゝ姉さんを持つて、まだ、どんなに仕合せだか解らない。
弟 ――姉さんは夜おそくなつて一人で泣いてゐる事があるよ。隠してゐるんだけど、俺にやわかるんだ。――姉さんに今の様な事をさせないためなら、俺ら死んだつて関[#「関」に「ママ」の注記]はないんだ。あゝ、何でも無いよ。
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足音をさせないで職工服の秦が六畳の方へ入つて来る。包と辨当箱を下げてゐる。
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姉さんは、俺らのために、こんな事をしてゐるんだ。俺にや、いくら一生懸命になつても一日に十銭より封筒は張れないんだ。――畜生! 世間の奴等! 畜生! 肩を、へし折つてやるんだ。畜生!(荒く立上つて、三畳の左隅の障子を開けて出て行く)
秦 どうしたと言ふんだい?
沢子 あなた、又来てくれたの。
秦 どうしたんだい?
沢子 恵ちやんよ。秋ちやんの弟の。
秦 それはわかつてゐるんだけど、何をあんなに怒つてゐるんだね?
沢子 眼が見えないし、あの子も可哀さうなのよ。
秦 ――しかし別に今に始まつた事ぢや無いんだし――。お秋さん居ないの?
沢子 えゝ、昨日の臨検騒ぎで警察へ行つたつきり、まだ帰つて来ないわ。――なにね、先刻《さつき》おかみさんが来て、私に嫌みを言つたもんだから、それから恵ちやんが――。
秦 嫌みてえと、また――。
沢子 え
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