いけねえ、此処へ置いとくぜ。
お秋 あら、あんた、二階へ上つて行くんぢや無かつたの。
客二 さうしちや居られないんだ。又今度だよ。どうも世間がかうザワザワしてゐたんぢや、これでユツクリ遊んでも居られないや。ぢや。(出て行く)
お秋 変だわねえ――。
阪井 今のは何と言ふ人だい?
お秋 さあ、二三度来たばかりの人で、名前は知らないわ。
阪井 さうか……。
[#ここから2字下げ]
客の中の一人はテーブルに寄つたまゝ酔つて居ぎたなく眠つてゐる。その他の客は、以下劇の進行中に目立たない動作をして出て行く。
[#ここで字下げ終わり]
お秋 阪井さん。
阪井 ――(顔を上げる)
お秋 あんた朝鮮へ行くんだつて。
阪井 ――あゝ。
お秋 (手に持つてゐた何かをガタンと床に取落す。それを拾ひ上げて)さう――。どうして朝鮮なぞへ行くの。
阪井 どうして?
お秋 朝鮮に知つた人でもあるの?
阪井 そんなもなあ居ない――。
[#ここから2字下げ]
前に出た仲仕の中の一と二と三が急いでドヤドヤ入つて来る。
[#ここで字下げ終わり]
仲仕一 あ、居た、居た、居た! おい阪井君大概いゝ加減にしてくれ。捜したつて無かつたぜ。
仲仕二 のんきだなあ、俺達がこんなに心配してゐるのに御本尊はこんな所で酒をくらつてゐる。早く合宿へ戻つてくれよ、よ。
阪井 どうしたんだい?
仲仕一 阪井君、そりや、君の気持は俺達にもよく解るんだ。君が手を引くと言つた時にや、だから、俺達としては何とも言へなかつたんだ。しかし、君事情が今の様になりや。
仲仕三 船はもう大概空家同然だ。協会の方からもよろしく頼むと言つて来てゐるんだ。今俺達がフンバラなきや、何もかもオヂヤンだ。船の連中はまだ解雇はされてゐないけど、船主《せんしゆ》側の方でいつなんどき解雇してもいゝ様に、船員をかり集めてゐる。そのかり集め方を俺達の組合へ頼んで来てゐやがる。船が動かなきや荷役の方でも困るだらうから、よろしくお願ひしますと言やがるんだ。糞くらえ!
仲仕一 だからよ、今俺達がガンバラなきや、船の連中のストライキを俺達が破ることになるんだ。
阪井 ――俺は初めからさう言つた。
仲仕一 それがさ、あん時迄は俺達にはよく解らなかつた。然し君に煮湯を呑ましたなあ俺達ぢや無かつた。
阪井 それは知つてゐるよ。そんな事は、どうでもいゝさ。
仲仕二 ぢや来てくれるね。早く来てくれ。俺達十人ばかりで、組合の方にやつと三百人ばかりの連中をかき集めたんだ。今ワイワイ言つてゐる。何か喋つてくれ、奴等にどしやう[#「どしやう」に傍点]骨を入れてやるのはお前で無きや出来ねえんだ。
阪井 そんな事を言ふな。今俺にはそんな元気は無い。今奴等の顔を見たつて俺には何も言へやあしない。
仲仕二 そ、そ、そ、そんなお前、そんないこぢ[#「いこぢ」に傍点]にならなくたつて。
阪井 いこぢ[#「いこぢ」に傍点]になつてゐるんぢや無いよ。俺は去年、この片手がウインチに、あんな事で喰ひ取られた時から、自分一人のいこぢ[#「いこぢ」に傍点]な根性なんか捨ててゐる。――そんなこつちや無いんだ。
仲仕一 しつかりしてくれ、しつかりしてくれ、君が、君がそんな風だつたら、俺達はどうなるんだ。それを考へてくれ! 君は、君つて男は、自分一人の阪井ぢや無えんだ。俺達の阪井だ。
阪井 ――今になつて君等はそう言《いふ》んだ。――俺の気持がこんなに押しつぶれつちまつてから。――ぢや言はう、この前の時も俺達は負けた。あん時、俺はたつた一人の妹を取られた。妹は俺をうらんで死んだ。勘辨してくれと俺が何度言つても、黙つて石の様に何も言はないで、俺を睨んだまゝ死んだ。あん時の顔が、あん時の妹の顔が――二三日前から、組合の連中の顔から俺を覗くんだ。俺をヂツと見るんだ――俺はさう思つた。これでおしまひだ。俺は奴等に何も言ふ資格が無い。誰かがその内に奴等の眼をさましてくれる。しかしそれはおれぢや無い。俺は途中からどつかへ落つこちる人間だ。沢山の俺みたいな人間が落つこちて、その後に来る奴が本当に皆の役に立つんだ。それは俺ぢや無い――。
仲仕一 だからよ、たゞさう言つてくれりやいゝんだ。俺の妹は俺をうらんで、俺を睨みながら死んだ。皆な自分の身内の者をそんな目に合はさない様にしつかりしろつて、さう言つてくれ。一時おくれりや一時の負けだ。丸《まる》二や山東《さんとう》や丸菱《まるびし》ぢやもう買収を始めてゐるんだぜ。奴等只でさへ腰がフラフラしてゐるんだ。
仲仕二 ぢれつてえな。おい、阪井君、君は。
[#ここから2字下げ]
一人の仲仕が戸を突き飛ばす様にして入つて来る。
[#ここで字下げ終わり]
仲仕 おい大変だ、早く来てくれ、本部に手が廻つてもう帰らうとしてゐる連中が随分ゐる! 今、ワイワイ騒いでゐ
前へ 次へ
全21ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング