いうことだし、つぎに、あなたのほうでもそれらに語りかけないわけにはいかないということです。
それから、歩いていると、しぜんにあなたの血行がよくなると同時に、歩行のリズムがあなたの心身に快感をあたえるということだし、しかし同時に速度が早すぎたり距離が遠くなってくるとあなたは疲労して不快になり、休まなければならぬということです。そして休んでいるあいだも、疲労が去ればふたたびあなたは歩かなければならないことを知っているということです。したがって、あなたが気持よく遠くの道を歩くためには、疲れすぎないうちに休み、休みすぎないうちに歩きだすのが、いちばんかしこい方法であることを知るということです。
それから、食物や飲物をとるときには、たずさえているものの全部を飲んだり食ったりしてはならない、かならず少しずつ残して進まなければならぬし、同時に、食物や水を手に入れうるところを通りかかったら、それらをいくらかずつでも手に入れるようにしなければならないということです。
さて、そのようにして歩いていくうちに、歩いていく当人のうえにも、その旅人に接触する土地々々の人びとのうえにも、いろいろのことが起きます。まず歩いていくわれわれは、日本という国の自然が美しいことがわかってくる。
それから、あんがいに広い国だということがわかってくる。そして、あの山もこの川も人の手がくわえられ、あの野原もこの岡もよく耕されていることから、ながいあいだにわたって、日本人たちは日本の土地を愛撫してきたことがわかってくる。そしてさらに歩みすすんでいくうちに、日本がじつにせまい国であることがわかってくる。そして、どちらへ進んでいっても、まもなく海に出るということがわかってくる。
それから、通りすぎていく村や町で耳にするその土地々々の人びとの言葉から、日本語というものが、ひじょうに豊富なニュアンスと変化を持った国語であることがわかってくる。
それから、日本の山河や人びとの気分や暮しが、敗戦のために崩れこわれて、ひじょうに荒れてしまったということがわかってくる。にもかかわらず日本と日本人は、あいかわらずそこにあり、そのよいものの基盤はほとんどゆるがないで残っていることがわかってくる。
そして、悲しくさびしくなると同時に、根源のところでは、シッカリとした自信や自尊心などを抱くことができてくる。それから、この地方の日本人と、かの地方の日本人の姿のあらゆる要素や面や質の異なる点と同一の点とを見くらべ、それらの一時性と恒久性を区別したり、それらの全体を統一的につかんだりすることができる。それから、その土地々々の暮しかたや産物や食物や景色などの特色を味わうことによって「日本」という観念の中身をゆたかに深く複雑なものにすることができる。
その旅人に通りすぎていかれる側の、その土地々々の人びとのうえに起きることは、見知らぬ日本人の自分たちとはどこか違う姿や表情や動作を見ることで、日本はこの土地だけでなく、もっと広くて、そこにはまだ自分たちの知らぬいろいろのものがあることを感ずることができる。
その旅人に話しかけられたり話しかけることによって、他の町や村の事件や事情や、日本全体の現在おかれている情況や空気を知ったり察したりすることができる。そして、それらの知識や推測や感じに照らしあわせて、自分たちの暮しや生活や考えを修正したり、いきいきとしたものにしたり、もっと広がりのあるものにしたり、喜びのあるものにしたりすることができる。つまり、いろいろの意味で、その旅人をとおして、他の多くの日本人とつながることができるのである。
そうなんです。歩く人は歩く人自身、歩くことによって貴重なものをうるのと同時に、歩いていく土地々々の人びとを、横につなげていくことになるのです。そして、そのことが、さらに貴重なことがらだと私は思う。ことにいま、日本がこのように混乱し衰弱しているさなかでは、まず日本人全体が横につながることほど大事なことはないと思います。
愛国のことを言うことは、言いたい人にまかせておいて、私はただなるべく歩いてみるようにしたいと思っています。私などがいくら歩いても、たいしたことが起きないことは知っているが、しかし私でさえも歩かないよりも歩くほうがマシなことを私は知っている。
君はどうですか?[#地付き](一九五二・九)
底本:「三好十郎の仕事 第三巻」學藝書林
1968(昭和43)年9月30日第1刷発行
入力:伊藤時也
校正:伊藤時也・及川 雅
2008年12月12日作成
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