でも、昔、わてのお母はんが居やはつた事は、チヤーンとわてが知つてますがな! そのわてのお母はんが、わてを大事に大事にしてくれはつた事や、わてに教へてくれはつた事は、そないな不確かな事ではおまへん! チヤーンと確かな、たとへ世の中がデングリ返つても、間違ひのない事どす。大丈夫、金のワキザシや!……そらそら、又笑ひはる! たーんと馬鹿におしなれ、構ひ〔ま〕へん! んでも今に百年もたつたらな、わても奥さんも生れ代つて来ますさかいな。そん時には、今わてはチヤーンとかうして奥さんを可愛がつて看病してあげたのどすよつて、こんどめ生れ代つて来たら、わての方が奥さんにターンと可愛がつて貰ひまつせ! ようおすか? 忘れたらあきまへんえ! お前みたよなツンボーの赤ん坊なんど知らん言ふたらあきまへんえ!……ハツハハハハ、ハハ。
美緒 ……(声を出さずに笑ひながら、片手を出して小母さんの頭を撫でてやる)
小母 泣いたらあきまへん! えゝな? ハハハ、さ、お薬どす。……(非常に注意深く、馴れた手附きで水薬を飲ませる。おとなしくそれを飲む美緒)……あゝ、えゝお子や、よく飲みはつた。近頃ホンマにおとなしう飲みはるで、うれしうてならん。あと、口直しにリンゴの汁でもあがりまつか?……(美緒かぶりを振る)さうだつか。……(美緒の額に手を当てゝ熱を計る)熱もだいぶ下りましたえ。……ホンマになあ、久しぶりに熱をお出しにならはつたので、四五日前にはビツクリしました。ハハハ、珍らしいさけなあ。……あれは赤井の兵隊さん達が来やはつた直ぐ次の日やつたから、あれからヒイ、フウ、ミイ、ヨ、イツ(と指を折つて)今日で六日目どすな。……もう大丈夫どす!
美緒……(うなづいて見せる)
小母 ……赤井はんの兵隊さんはもう出征しやはつたかいな! どうぞ、御無事で行つて来やはるやうに。……ホンマにえゝ方どすえなあ。奥さんもサツクリとしたえゝ方どす。この間も、わてが御飯の支度でマゴマゴして居りましたらな、あの奥さん黙あつて台所に下りて来やはつて、ドンドン加勢してくれはります。恵子はんなどとは、えらい違ひどす! 実のお妹はんでゐても、あんな――(言ひ過ぎた事に気附いて)いや、それはな恵子はんは恵子はんで、やつぱりそれぞれ流儀がお有りどすよつて――。
美緒 ……(微笑して、言つてもかまはないと言ふ意味の手真似)
小母 ……さうどすか?……いえな……いえ、わては、あんな情のきついお方、実は、きらひどす。たまにお見えはつても、キツと庭の方で、スパスパスパスパ(と煙草をふかす真似)こうどす! ハハハ。いくら病気が嫌ひと言やはつても、たつた一人つきりの実の姉はんでおまへんか! きらひどす。わては旧弊人どすよつて、あんな方は虫が好きまへん。あれよりも、比企先生のお妹さんの方がまだましや。テキパキしてなはる! はあ、さうですわ! はあ、わては海岸に行つてよ、ピーン、バタバタツ! (と跳ね上る真似)こうどす! な! ハツハハハ、……比企先生も、東京に帰らはつて、もう四日になりますなあ。比企先生は、奥さんの具合が良うおなりはつたので安心してお帰りたのどすわ。
美緒 ……。
小母 ……五郎はん、お戻り、おそおすな。今日は描いてしまはるつもりでつしやろ。写生と言ふもんは、お骨の折れるもんだすなあ、今日で三日や。……でも、よろしおしたなあ。五郎はんが油絵描きはるやうになつて。
美緒 ……(何度もうなづく)
小母 五郎はんも、奥さんの病気が良うなつたので安心して写生しに行かはるやうになつたのどす!
美緒 ……(微笑。指で自分を指して見せる)……いえ、私がね……もう間もなく……いけないからなの。
小母 (美緒の声が低いので聞えず、その仕草だけを受取つて)さうどす、奥さんに見せようと思うて描きに行かはつてゐるのどすえ、チヤーンと知つてゐますがな。えゝなあ。お嫁はんの言はゝる事なら、どないな事でも五郎はん、やつてくれはる。見てゐてもケナルウなりまつせ。ホンマに! 首つたけや。ハハハハ。さうどすえ!
美緒 ……(弱々しい笑ひ)……私が……居なくなつたら……五郎は……どうするんでせう。……それだけが……私……心配なの。どうぞ、頼むわ、小母さん……。
小母 (相手の唇の動きをマジマジと見詰めながら)さうどす! 奥さんの言はゝる事なら、五郎はん、どないな事でも、たとへ火の中でも行かはりまつせ! おゝおゝ、シンドイ話や! (とまだ自分流に聞き誤つてゐる。そんな風に彼女に誤つて聞かれる程、美緒の表情は明るく、その言葉の持つてゐる意味とは全く反対のものである)
美緒 ……頼むわ、……小母さん……私が……居なくなつたら……五郎のこと……(小母さんに向つて両手を合せる)
小母 (まだまちがつて受取つてゐる)ハツハハハ、さうどす! 拝みなはれ、
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