ん、戻らはつた! そらそら奥さん……(立つて五郎の方へ行く)お帰りやす。
五郎 ……(黙つて小母さんを見て手真似で、美緒は変りないかと訊ねる)
小母 ……(これも手真似で変り無いと答へてから)……まあま、今日はえらう描けはつた。絵具がコテコテや!
五郎 (小母さんの耳元へ)小母さん、少しやすんで下さい。いつとき僕が見ますから……。(カンバスだけを下げて病室の方へ)
小母 へいへい。それぢや、チーツと洗濯物を済ませてから、やすまして貰ひま。(廊下から庭へ下りて、裏口の方へ消える)
五郎 (カンバスを裏返しに柱にたてかけてから)……どうだい?……(美緒の額に掌を当てゝ見る)うむ。……又、小母さんと喋つてゐたんぢや無いだらうな?
美緒 ……(かぶりを振る。それからカンバスを指す)
五郎 まだ描き上つとらん。
美緒 ……見せて……。
五郎 今日又、スツカリ塗り直しちやつたよ。メチエが弱い。……もう油絵具なんかをどんなに盛上げて見ても俺達の描きたいものにピタツとしないや。美し過ぎる。弱いんだ。コンクリートの粉を塗つたり、牛の生皮を叩きつけたりしたくなるんだ。絵具は弱い。
美緒 ……見たいの……。
五郎 ……(美緒をさぐる様にジツと見守つてゐたが、やがてカンバスを表に向けて襖に立てかける)……ぢや見ろ。
美緒 ……(その画の方へ首をグツと上げるやうにする)
五郎 そんな事しちやいかん。……(美緒の首の所に片手を当てがつて支へてやる)
美緒 ……(荒い調子で描かれた風景にピタリと眼を吸ひ附けられ黙つて見詰める)
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間。……五郎も自分の画を見てゐる。
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美緒 ……あゝ、綺麗だ。(自分を忘れたやうな声を出す)
五郎 ……もういゝだらう。疲れる。
美緒 ……いや、もつと。……あゝ! (まだ見詰めてゐる)
五郎 もういゝよ。疲れるから。(美緒の頭をそつと枕の上に置いてやつて)……なんだ、泣くやつがあるか。
美緒 ……久し振りよ。……あんたの画を見るの……。
五郎 ハハ、そらそら――(と涙を拭いてやりながら)……なんでもいゝから、もう口を利くのは、よしなよ。
美緒 ……ありがたう……。
五郎 よせと言つたらよせ。……(吸入器の口を直してやる)これから、いくらでも描いてやる。……薬は飲んだのか? (美緒うなづく)……少し顔が赤いね?……気分は悪く
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