泥で我れと我が心と顔をよごして来た。今後とても、いずれは、それの連続であろう。その一つ一つを具体的に言えとあらば言ってもよいが、殆んど僕はそれに堪え得ぬ。又、今更それを言う必要も無いであろう。ただ僅かに、その様な自分を少しずつでも[#「少しずつでも」は底本では「少しづつでも 」]マシな方へ持ち運んでくれる「行」としての――つまり、その様な自身を少しずつでも真に救ってくれる告白の場としての、従って又、もしかすると自分というものが、他の人々のためにも幾分かは役立ち得るようになるかも知れないところの鍛錬の道場としての芸術――劇作の仕事が僕の前に在る。丁度君の前にも芸術=演劇の仕事が在るように。
 しかし、此処でも尚僕は迷った。恥を語らねば話が通じぬ。その様なものとして劇作の仕事を考えながらも、やっぱり金が欲しい。ひどい貧乏は、やっぱり怖かった。それで時々は「金のために」仕事をした。そして、その金が細々ながら続く間だけ、つまり食って居れる間だけ、本来的に自分のしたいと思う「ホント」の仕事をした。そして恐ろしいのは、前の場合にも、その仕事は他ならぬやっぱり自分がするのであるから、良かれ悪しかれ自身のホントの姿が出るし、後の場合にも、その仕事はやっぱり自分がするのであるから、「金のために動いた」時の自分の姿が現われて来る。そして、この二つは殆んど両頭の蛇の様に互いに互いを喰い合いもつれ合い、互いが互いを堕落させ合って、殆んど収拾のつかぬようなメチャクチャな状態に自分を陥れた。それに僕は気が附いた。何とかしなければ堪え切れぬようになった。そして思ったことには、これは自分が「食う必要」と「芸術家としての本心」とを二つの物として別々に扱っているからだ。この二つを完全に一つのものに統一する以外に逃れる途はない。即ち「食う必要」がソックリそのまま「芸術家としての本心」であるようにしなければならぬ。別の言い方をすれば「食う必要」が命ずる事に堪え切れない程にひ弱わな部分が「芸術家としての本心」の中に有るならば、それは切り捨てなければならぬし、「芸術家としての本心」が命ずる事に堪え切れぬような部分が「食う必要」の中に在るならば、それを切り捨てて、その残りだけが生きるか、又は死ぬかしなければならぬ。そして、それは果して出来る事なのか? 出来る! 出来るばかりでなく、そうであってこそ「食う事」と「本心」とは助け合って、より高いより堅固なものを生む事が出来る。そして気が附いて見たら、これが僕の「本職の道」であったのだ。
 出来ると僕に言えるのは、それを現に僕が実行出来ているからだ。勿論、未だあまり完全な形で実行出来ているとは言いがたい。現にこの三四年位は、そのために、黒字としての収入は一銭も無くなって前借々々で辛うじて食っている。しかしとにかく食っている。だから、もう僕は、うろたえない。又、だから、現にこの三四年は、その昔僕が芸術至上主義的であった頃の様に「純粋」な仕事はしないし、出来ない。しかし辛うじて、とにかく自分の芸術家としての本心に背くような仕事はしないで済んでいる。だから、僕はもう、うろたえない。
 勿論、生活の方も劇作の仕事も、スラスラと運んでいるとは言えない。窮迫と不如意と、非才と鈍根に、独り泣くこと、しばしばだ。特に近年、生活と仕事の無理がたたって来て、数日ないしは十数日を病床に徒費しないで過す月は殆んど一ヶ月もなく、人中に出て活動することに全く耐え得ない程に衰えている健康状態なので、「つらいなあ」と思う事が無いと言い切れば嘘になる。しかし、それだけに以前に較べると確に、少しばかりは腹が据った。そして、「おれと言う男は、銃を持たされても鍬を持たされても槌を持たされても、その他どんな仕事を当てがわれても、その事に就てなんにも知らず、その力を持たず、物の役には立ちそうも無い。ただ僅かに文学芸術の中の演劇と戯曲に就てならば、ホンの少しだが知っているし、ホンの少しばかりなら役に立つようになれるかも知れぬ。だから、それをやる。それをやって行く事が許される時まで、それをやる」と考えるようになって来ている。
 その事に関連して、国家や社会のことを言うことは敢えてしまい。それは第一に自分の任で無い。第二に、国士的発言者の論と説は今天下に充満していて、自分などの蛇足を必要としないからである。ただ、自分のみでひそかに信ずる所ならば、僅かながら持っているし、しかも、こうして自分の状態は未だ「飢ゆる」と言うことからは遠い。これを思えば「つらい」などと言う感想は、どこかへ吹き飛んで行き、楽しくなる。誇張では無い。僕はボロをさげ少し食い、片隅で、自分の好む仕事をやらせて貰い、うまく行けばその仕事で以て少しばかりお役に立つことが出来るかも知れない自分の運命に満足し、よろこび
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