俳優などの大部分は自立的な自発的な芸術意慾を衰弱させてしまい、「良心」と「胃袋」を分裂させてしまっていると僕は見ている。その実例がいくつも有るが、此処には書かぬ。
よろしい、君がどうしてもそうしたければ、そうして、勝ちたまえ。そして華かにポシャルか又は、華かに不健全に永続したまえ。残念ながら最後に君は地獄に落ちるであろう。僕はどうかして、ホントに、どうかして、君にそうさせたく無いけれど、これほど言っても聞いて呉れないのならば、仕方が無いと思う。
10[#「10」は縦中横]
さて長々と書いた。僕も自ら呆れた。一週間ばかり、考えに考えてこればかり書いていたので、くたびれもした。君は尚更、僕の執拗さに呆れたろうと思う。とにかく、この問題につき、僕の言いたい事のあらましだけは、不完全ながら言い了えた。
僕は、演劇と君の裡の良きもののために、これを書いた。これが君を少しも動かし得ず、無駄に終っても、僕は諦らめる。
しかし丸山定夫よ。本当に、僕がこれだけ嘘もかくしも無い自分をぶちまけて、これ程までクドクド言ってもこれらの言葉は本当にホンの少しも君を動かし得ないのであろうか?
僕には信じられない。君にこの手紙が一度読んで判らなければ、済まないが二度読んでくれ。三度読んでくれ。それでも、判らない所が有ったら、やって来て質問してくれ。僕の思っていることを、少くとも、君に判らせることは、君が思っているよりも非常に非常に大切なことだと僕は思うのだ。
今迄も今後も君が僕の親友であると言う事は暫く言わずともよい。君は、今、日本の演劇文化の持っている最大の良心と最高の技術者の一人だ。殆んど掛けがえの無い俳優だ。君の肩の上には、日本の新しい演劇文化の何分の一かが載っているのだ。そして、その日本は今、どんな位置に立っているのだ? その日本が今、なにごとを遂行しようとしているのだ。
これ以上を言うと冷汗が出るから言わぬ。君が今、力強く立ち上り、堅実に出発し、健全に歩んで行って呉れることは、ソックリそのまま日本の新らしい演劇文化の勝利の一要素であり、日本の新らしい演劇文化の勝利は、ソックリそのまま日本それ自体の勝利の一素困になるのだ。
僕の言い方が大げさ過ぎるならば、笑うがよい。そうで無くても、まるで僕は自分が良心と誠実の卸し問屋のような言い方で、こうして喋り散らして来
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