無い」
「フフ、そんな君、いつでもきたなくしとくとはきまつて無いさ」
「いいわよ。そいぢや、貴島さんにそう言つといてね。このままにしてうつちやりつぱなしじや、あんまりひどい。宙ぶらりんで私どうしていいかわかんないから、とにかく一度逢つてちようだいつて。よくそう言つといてね。こいでもあんた、ただのチンピラの娘つ子とは違うんですからね。ホホ!」と不意に花が開くように笑つて、私の方へ色つぽい目禮をしてから、踊りの手のような身のこなしで階段に足をかけてヒラリと消えたかと思うと、
「あのね!」と今度は、暗い中から顏だけを、さかさまにのぞけ、白いアゴで室の隅にぶらさがつているカーキ色のズボンを指して「久保さん、それあんたんでしよ? ホコロビ縫つといたげたわよ」
 言うなり、顏はスッと消えて、たちまち燒跡を踏むゾウリの音と、それに合わせて低い鼻歌のブルースが遠ざかつて行つた。
「ありがとう」それを追つて言つた言葉がわれながら間が拔けておかしくなつたのか、久保はまだパンを頬張つている顏でニヤニヤ笑つた。
「いいのかね、女一人で今じぶん?」
「いいですよ。それ位のことでビクビクするような女じや無い」
「貴島君と、どんな關係の人?」
「さあ。別に大して立ち入つたなん[#「なん」に傍点]じや無いんでしよう。ほかにもまだ居るようですよ、あんなふうに貴島を追いかけてる女が」

        13[#「13」は縦中横]

 それから久保正三は火をおこして、茶を入れてくれた。
 室の入口のところにコンロが置いてあつて、細かく割つたタキ木や、水の入つたヤカンなども、そろえてある。男だけの暮しとしては意外な位にすべてがキチンと整備されていることが、だんだんわかつて來た。それが、全部この久保の仕事らしい。手順よく、ユックリ手足を動かして茶を入れおわつた時には、それに使つた道具がチャンと元の通りに片づいているという風である。
 特に私を歡待するためにしているのでは無い。食事をしながらも、私に食えとも言わなかつたし、そんな事は思いつきもしないらしい。茶も自分が飮みたいから入れたが、そばに人が居たから一杯ついであげると言つた調子だ。無禮なことや、傲慢そうな表情など一つもしないが、何か氣が遠くなるほど無關心である。默つて相對していると次第に、こちらが無限の距離に押し離され輕蔑され切つているような氣がして來る
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