に坐つた。かなり上等の薄色のフラノ地の背廣に思い切つてハデなエンジ色のネクタイをしていた。前にも書いたように、チョット女のような感じの、上品でおとなしそうな、むしろ平凡な顏で、記憶に無かつた。
「Mを知つていた――?」
 相手がいつまでもだまつているので、私の方から言つた。
「はあ。……」
「戰爭中此處に來てくれたそうだけど、――いつごろでしたつけ?」
「……あの、僕が入隊する二三日前の――」
「そうですか。……そいで、いつ復員して來ました?」
「しばらく前……去年の末にもどつて來ました。……その、入隊する二三日前にMさんといつしよに。空襲のあつた晩で、玄關先きで失禮したもんですから――」
 とぎれとぎれに低い聲で相手が言つている間に私は不意に思い出した。東京空襲が本格的にはじまつてから間の無い頃、警報が出て、燈火を消してしまつた私の家の玄關へ酒に醉つたMがもう一人の男をつれて寄つたことがあつた。それが、言われてみると、この男だつたようだ。暗かつたし、この男は一言も言わないでドアの外に黒く立つていて、Mだけが玄關のタタキに入つて來るや、私のヒジの所をグッと掴んでゆすぶりながら、「やあ、ヘッヘヘ、なにさ、三好のスローモーション、鈍重、チェッ! もしかして、おとついのブウブウでやられたんじやないかと思つて、來てみた。いいよ、いいよ、そんだけだ。生きてりや、それでいいんだよ。いいよ。なに、あがつちやおれん。忙しいんだ。ヘヘ、これから、その兵隊を――と(背後の男の姿を指して)洗禮を受けに連れて行かなきやならんからなあ。あばよ。バイバイ」と、醉つてはいても、永年舞臺できたえた、語尾のハッキリとネバリのある美しい聲でわめき立てて、風のように歸つてしまつた。この男の癖で、こちらで何かを言つている暇は無かつた。……たしか、「洗禮」と言つた。なんの事だかよくわからなかつたけれど、しかし直ぐ續いて起つた空襲騷ぎのために、それも忘れてしまつていた……
「そう。それは――そいで、君は陸軍? 海軍?」
「海軍でした」
「Mとは、なにか、お弟子さん? いや、俳優になりたいと言つたような――?」
「いえ。……前に、小説みたいなもの書いていて、シナリオをやつてみたくなつて、そいで友人に紹介してもらつてMさんに――でも、半年ぐらいでした、つき合つていただいたのは。……でも、とても、かわいがつてもらつ
前へ 次へ
全194ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング