けない筈は無いのに、實はそれが非常にむずかしい事だと言うことが、わかつて來たのです。「あの人は善い人だ」と言つても、果してそう言い切れるか? 「善い」と言う事が全體どんな事なのか? あの松は濃い緑色だと書いて見ても、一體、その松はホントに緑色なのか? 紫色に見えると言つても、黒く見えると言つてもウソでは無いのでないか? 一つの事件にしても、それを見る見方には、ほとんど無數の見方がある。その中で、どれを選べば「眞實」なのだろう? つまり、事物に對する僕の認識と言いますか、それがハッキリせず、自信が持てないのです。
 こんな事は、以前には無かつた事です。ズット前、シナリオや小説みたいなものを書いている時分は、そんな事は全く氣になりませんでしたし、復員して來て黒田組で働いている間も、そんな事はありませんでした。こんなふうになつて來たのは、黒田組を出て、方々を歩きまわり、いろんな人に會つて、それらの人々を細かに觀察するようになつてからなんです。認識の目がグラグラと猫の眼のように變りやすく、それについてキッパリした一定の表現が採れないのです。苦しくてならない時があります。たしかに、僕という人間自體が半年前ごろから非常に變りつつあるようです。それが良い事か惡い事か僕にはわからない。しかし實に變テコな妙な氣がします。しかし、それでいて、これまでよりも――すくなくとも黒田組に居た頃までよりも、世の中や人間のホントの姿が深くわかつて來たような氣もします。わかつたと言つても、前にも言いましたように、認識そのものがグラグラしていて疑わしいのですから、「理解した」のではありません。理解なんか出來はしません。「味わつた」と言うのがホントかも知れません。理解は出來ないけれど味は少しわかるんです、この人生の。いくらかホントの味がわかつて來たような氣がするんです。うまく言えませんけれど、あなたには、わかつていただけるでしようか? とにかく、僕と言う男の根本の所が、何か變りかけている事は事實のようです。ひどく不安です。それでいて、惡い氣持ではありません。それは、ちようど、醉つぱらつたような氣持です。「人生」に醉うなんていう事があるのだろうか?
 ――そんなわけですから、今の僕には、ツジツマの合つた手紙は書けません。僕の認識そのものが飛行機に乘つているようにグラグラしているのですから、その後僕が出會つ
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