しい。それで話はどこまで行つても解決せず。
しかし自分がわきから觀察したところに依れば、徳富稻子は、實は必らずしも手切れ金が欲しいのでは無い。男に對してミレンがある。しかし自尊心が強いためにそれを言えない。それに、そのような事を言うと、「男女の戀愛はいつでも自由であつて、法律上の夫婦關係にこだわつたり、それに依つて相手をしばつたりする事は、封建的なまちがいだと言うのは、あなたの持論じやないか! あんたが、いつもそれを云つてたんじやないか!」と言つて男から、やつつけられる。つまり、稻子自身の理論を伸一郎が逆手にとつて詰め寄る。したがつて稻子はそれに對抗し得ない。しかし別れたくはない。だから金の事を言い出している。
尚、伸一郎の方は「僕は畫家で藝術家だ。藝術が命だ。それが、あんたと言う人といつしよに居ると自分の藝術は涸渇してしまう。いや、それはイデオロギイの問題じやない。イデオロギイの點では君は正しいと思うし、僕も黨員として恥かしくない活動はやつて行つているし、これからもやつて行くつもりだ。問題は藝術の事だし、藝術家が藝術を生んで行くための地盤になる生活のウルオイだとか、愛情の事なんだ。君はわかつてくれる筈だ。だつて、それも君がこれまで、いつも言つて來た事なんだから、それを今さら認めてくれないのは、君のイジワルか、君の理論の虚僞じやないか!」と言う。
この點では、彼は稻子の武器を逆手に取つているため、稻子には一言も抗辯できない。
兩方とも、一所懸命なり。伸一郎はズルイ。稻子の方はバカゲている。
聞いていて自分は男を憎み、女を輕べつした。
共産主義というものは、こんなものなのか? いや共産主義とは限らない、主義や理論が、こんなふうに、個人の人間的な愛情の間題などに對して、これほど無力なもの、又はウソのつき合いの道具になるものならば、全體なんのタシになるのであろうか? こんな人たちにとつては主義やイデオロギイも、みんなウソではないのだろうか? すくなくとも裝飾に過ぎないのではないのか? 託兒所なども結局は本心からのものでは無いのではあるまいか?
とにかく稻子は、まだ伸一郎を愛しているんじやないか。それなら、なぜに正直にそれを言わないのだ? 言えないのだ? 言つても三角關係は、どうにもならぬかも知れん。しかし、こんなバカらしいウソツキゴッコをしているよりは、まだ
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