です。默々として僕を育てただけです。前に言つた通り、表面はただ手荒にボキボキと育てたばかりで、可愛がつているような事を言つたりしたりはしません。しかし、シンから可愛がつてくれました。僕にそれがわかるのです。そして、その事から、死んだ母を、父がホントに愛していたと言うことが、二重に僕にわかるのでした。
 父は遂に最後まで、次ぎの妻を迎えませんでした。僕を繼母に附かせるのが可哀そうだと言うような理由ではなく、僕の母を失つて以來、妻を持つなどと言うことが、まるで考えられなかつたようです。そのへんも、實にアッケ無いほど古武士的で、つまり古風きわまるのです。
 戰爭については、終始一貫して非戰論者でした。戰爭は、避けられるだけ避けなければならないと言うのです。そのために大佐の時に軍を退かなければならなくなつたと言います。だのに、父ほど軍人らしい軍人はいませんでした。軍をしりぞいた後になつても、物の考え方から日常生活の末々に至るまで、まるで戰陣にのぞんだ軍人そのままの剛直で簡素きわまる生活でした。父は僕を軍人にしたかつたようです。なぜなら、彼の考えでは、軍人こそ人間の中で最もすぐれたものだつたからです。ですから、僕が少年時代に、「軍人になるのはイヤだ」と言い出した時に父は、世にも悲しそうな顏をしました。しかし自分の考えを僕に強いようとはしませんでした。「人間は、自分が一番やりたいと思うことを、しなければならん」と言つて、僕が將來文科系統の勉強をしたいと望んだことにも賛成してくれたのです。

 滿洲事變から、日支事變と進んで行つた頃の父のそれについての氣持や態度は、僕にはわかりません。僕はまだ小さかつた。それに、そのような事について父は、いつでも、何も言わない性質です。戰爭が太平洋戰爭に入つてから、敗戰の色が濃くなり、そして僕が學生のままで出征することになつてからも、父は、戰爭について、どんな意見も吐きませんでした。
 ただ、太平洋戰の最初、眞珠灣攻撃の報知を聞いた時に、ラジオの前で父は眞青になつて、
「しまつた!」
 と言いました。そして二三日、眼を赤くしていました。泣いていたようです。世間一般が、その報知に狂喜している最中にです。「しかたが無い。日本は負ける。そして亡びるかも知れん。しかたが無い。そんな風に順々に日本というものが、なつて來たのだ。今さら、もうどうにも出來まい」
前へ 次へ
全194ページ中73ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング