耐えて、殆ど耐え得べからざるを耐えている五千万蒼生を忘らるるな、欝勃として神州に満つ。倒れるものは斬らずとも倒れる。八万騎と申したのは昔のこと、即ちいま、少しでも骨のある旗本や徳川の役人は多分一万を出でまい。アハハ、無用だ。正に小義憤を断じ去って、病弊の根本処に向って太刀を振うの時だ。そう唸られるな。さ、急ごう!
加多 兵藤氏、私が早まったようだ。行こう! (と立去りかけて、この三人のやりとりを半ば解らないなりに固唾を呑んで見ていた仙太、段六、女房などをチョイと眼に入れ)暫く! よし、書いてとらすぞ。(筆をとり上げて奉書に筆太に何か書く)
仙太 ありがとう存じまする。ありがとう存じ……。
加多 (筆をカラリと置き、ペタリと土に額をつけている仙太の肩を叩いて)一身の重きを悟れよ。義公御遺訓にもこれあり、百姓は国の基《もとい》だ。時機を待て。いいか、時機を待て! さらばだ。(二人足早やに左手奥へ去り行く。一番後れた甚伍左が懐中に手を入れながら仕置場の方を見下していたが、何を見出したのかホーといってジッと眼をこらして見ていた後、振向いて)
甚伍 ……お百姓、ええと確か真壁の仙太さんといいましたね。仙太さん、いま見ると、今日のお仕置きの手の者は北条の喜平一家の者だ。たしか上林の弥造とか言った角力上りの奴もいるようだが、何ですかい、あの連中、出役《しゅつやく》は今日だけのことかそれとも……?
仙太 いえ、そうではごぜましねえ。兄きなんどが、お召捕になりましたのも喜平親方の方の子分の衆がなされましたんで。
段六 あんでもはあ、喜平さんと当地の御手代様とは奥様の方の縁続きとかで、北条の一家と申せば詰らねえバクチ打ちでも御役人同様、えれえご威勢でごぜえます。百姓一統どれ位え難儀をかけられているかわかりましねえで。
甚伍 フーム。そいつは了見違えな話だ。二足の草鞋を穿くさえある。荒身かすりの渡世とは言いながら、チットばかりアコギが過ぎるようだ。それでなくとも北条の喜平についちゃ、私も前々から同じ無職のゆくたての上で、少しばかりしなきゃならねえ挨拶があるんだ。ま、いいや、おい、お百姓、いや仙太さんとやら、少し先を急ぐ旅だからこれで失礼しますがな、これはホンの志だけ、兄さんに何か甘味い物でも食べさせてやるたし[#「たし」に傍点]にでもして下さいましよ。
仙太 へ? いえ、こんな、一両金なんどという大金を頂くこたあ、見ず知らずのあんた様から。
甚伍 なにさ、私も元はといえば百姓だ。いやいまも家にいる時あ、盆ゴザに坐る時よりゃ野良へ出る時の方が多いくらいのもんです。アハハ、いや、また、何かよくよく困って、村にいられなくなりでもした時には、道のついでに私んとこへもたずねておいでなせえ。そうよ、あの筑波を左の肩越しにうしろを見て南の方へドンドン下ってスッカリ山のテッペンが見えなくなった辺まで行ったら、人をつかまえて利根の甚伍左という大道楽もんの家はどっちだと尋ねなせえ。
仙太 え! じゃあんた様が甚伍左の親方様で!
段六 利根川べりの甚伍左様でがんすか! あの名高え!
甚伍 知っていなさるか? こいつは恥ずかしいな。じゃ、ま、急ぐから、ごめんなさいよ。(歩み去り、ジロリと土手下を横目で睨んでおいてスタスタ二人のあとを追って姿を消す)
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(仙太と段六は礼をいうのも忘れてしまって茫然としてその後姿を見送っている――ウロウロしていた女房はもうズット先程から仕置場矢来の方へでも降りて行ったのか姿を見せない。向う側では既に百叩きは終ったらしく、時々人声がザワザワするばかりである)
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仙太 (ヒョイとわれに帰り、ハラハラ涙を流し)ありがとう存じまする! 一生、死んでもこのご恩は忘れましねえでごぜます! ありがとう存じまする!
段六 御支配や、北条の親分みてえな人があるかと思えば、あんなりっぱな仁もあるなあ。……(いいながらタトウの上の奉書を見ていたがビックリして立上って)あっ! こりゃっ!
仙太 あんだよ、段六?
段六 見ろえ、これ! これ! 水戸、天狗組一同としてあらあ! こりゃあ! (ガタガタ顫え出す)
仙太 水戸、天狗組一同! ほだて! するてえと、いまの士の人達、天狗党の人たちだ!
段六 どうしべえ、俺、おっかなくなって来た! どうしべえ、仙太よ?
仙太 どうしべえって……(黙って三人の立去った方を見送り、仕置場の方を見やり、奉書を眺め、顔色を青くして考え込んでいる)
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(間)
(向う側から沢山の人数が土手にのぼってくるらしいざわめき、まっ先に鳥追と馬方と女房が走りのぼって現われる)
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鳥追 むごいねえ、まあ! あの上にまた叩き払いなんだねえ!
馬方 んでも見ちゃいられ
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