ですから。
ただそんな人が、たくさん居た事は事実です
私はただ事実を曲げることが出来ないだけです
そして、私も戦争にこそ行きませんけど
そんな人間の一人でした。
徹男さんもそんな人間の一人でした
他の人たちもそうでした。
山田先生の影響の中で。
山田先生の思想を、私どもの身体で実践し生かすことで。
私どもを罰してください。

徹男さんは学生でしたが
兄さんの山田先生とちがって
沈うつな位に控え目な人がらでありながら
国の運命を深く心配していて
口には言いませんが、その頃から
国民が命ずるままに自分一身を
良かれ悪しかれ日本の運命の最前線に
投じたいと思っていたようです。
研究会に出席していても隅の方に坐って
山田先生や、ほかの人の烈しい言葉を
黙々として聞いているだけで
ふだんもそれらしい事は何一つ言いません。
いわないけれど、私にはわかりました
なぜわかったのだろう?
そうなんです!
ただ私にはそれがわかっただけで
なぜ、わかったのか、気が附かなかった。

また、どうして気附くことが出来たでしょう?
いっしょの家に住んだのは半年ばかりの間で
半年後には山田家を出て
新劇団の女優になって働いていた
その半年の間も、家事の手伝いやお子さんの世話と勉強で私は忙しい
徹男さんも学校があり、それに兄さんの紹介で親しくなった青年将校や
革新団体の若い人々との集会などにも出ていたようで、暇はない
私とあの人が顔を合わすのは毎週二回の研究会の席上か
偶然に廊下ですれちがう時ぐらいです
話といえば堅苦しい思想の事や社会の事や時世のこと
ただの雑談を交したことは数えるほどしか[#「数えるほどしか」は底本では「教えるほどしか」]ありません
それよりも、この私の若さです
若さは強く一方の方へばかり傾けば傾いて行くほど
蕾は固くきびしく引きしまり、
外に開くのを忘れたようになっていた
いえいえ、外に開きたい無意識の本能が強ければ強いほど
内へ内へと烈しく引きしまって[#「引きしまって」は底本では「打きしまって」]行く。

たった一度、こんな事がありました。
研究会であの人が珍らしく物を言いはじめ
それが先生の意見と対立して
激しい論争になったことがあります
「僕は兄さんを尊敬しています
僕は兄さんから育てられた人間です
しかし兄さんは口舌の徒です
僕は理論を真実と思ったら実行する人間です

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