樹氷
三好十郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)祁山《きざん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一人々々|翼《はね》を
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#3字下げ]第1回[#「第1回」は中見出し]
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Oui, ce paysage ressemble a` un immense jardin fleuri, Adieu Yokohama !〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://www.aozora.gr.jp/accent_separation.html
−−
[#3字下げ]第1回[#「第1回」は中見出し]
[#ここから3字下げ]
作者
馭者
春子
勝介
壮六
(音楽)
音楽しばらく続いて、その間にアナウンス。
アナウンスやんで間もなく音楽やむ。
[#ここで字下げ終わり]
作者 私は三好十郎でございます。私は以前から長野県――信州の山岳地帯が非常に好きで、戦争前などは殆ど毎夏出かけましたが、殊に好きなのは八ヶ岳の裾の高原地帯で。ちょうどそれは太平洋戦争がはじまる一年前の夏のことで、やはり一人で出かけて、高原深くわけ入り、その方面でいえば、八ヶ岳の麓の人里では一番奥の、最後の部落にあたる落窪という村の旅人宿とはいっても、部屋の数四つばかりのごくさびれた内に二カ月ばかりいました。ある日のこと、午前中の仕事を終えていつものとおり、山歩きに宿を出たのですが、部落をぬけて深い谷川にかけた橋を渡ってしばらく行くと、農民道場があって、そこに各地からやって来て訓練を受けている青年達の明るい歌ごえが流れてきます。(二部合唱のうたを入れる)……それを背中に聞きながら私はやがて非常に深い原生林とカラ松と入れ交った森の中にわけ入って行きました。農民道場の歌声は次第に遠ざかり、夏だというのに蝉の声も聞えず、高原特有の肌にしみいるような静けさの中を森の小道をアテもなくスタスタと歩いて行きました。それ迄に二三度入りこんだことのある森で、三十分以上歩いて、もうそろそろ森を出ぬけてもよさそうだと思う頃、不意に近くで犬のなき声が聞える。足はその声に自然に導かれるようにしてしばらく行くと、明るいひらけたところにポカリと出ました。そのちょうど真中に、この辺りには珍らしい別荘風の――と言うのは、軽井沢あたりと違って、この辺には東京の人たちの別荘など、まだほとんどないのです、古びた山小屋が建っています。平屋建の壁は全部丸太を打ちつけた式の、なかなか趣味のいい建てかたをした家でした。垣根も柵も無いままに知らず知らずその家に近づいて、窓から中をのぞきこみました。内部は大きな広い部屋が一つあるきりの、しかし石を畳んだ暖炉があったり、ガンジョウなつくりの椅子やテエブルなどが見られて、すぐにも人が住めるようになっていますが、しかしいかにも古びはてています。人の影は何処にもみえない。どうした家だろうと思っていると、不意に横手の押上窓をガタンと開けて、一人の男が顔を出しました。この辺の百姓によくある姿をした半白の老人ですが、異様なのはその表情で、ほとんど噛みつくような、憎悪とも嫉妬ともとれる毒々しい目でこちらを睨んでいる。私は何となくドキリとして挨拶をするのも忘れて立っていましたが、彼はいつまでたっても何とも言わないで、その目で私を睨みつけているだけです。その中に家の後へでも廻っていたのか、秋田犬の系統に属する大きな犬が走って私の方に近づいて吠えはじめました。
私はいたたまれなくなって、そそくさと林の方へ立去って行きました。
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(音楽)
[#ここで字下げ終わり]
作者 私が再びその老人にあったのは、それから四五日後のことで、そこから二三キロもはなれた山の畑の中です。そこらは切り開かれてずっと高原の一面の畑になっているところで、やっぱり犬の声で、眼をやると、畑のフチに休みながら焚火をしているお百姓がいて、見覚えのあるその犬もいる。焚火にあたってタバコを吸っているのはこの間のその老人で、今日はもう一人別に十六七の少年がわきに坐ってこっちを見ています。私はこの間のことがあるので、なんとなく老人に向って目礼をすると、先方も犬を叱りながら焚火の方へ私を招じるような態度を示し、それで私は「こんちわ」といいながら、二人のそばへ寄って行きました。老人の態度は、先日山小屋の窓から私を睨んだときとはまるで別人のように柔和で、あのときのあの老人とはどうしても思えない位でした。年は既に六十前後でしょうが、生き生きと始終ほほえんでいるような、よい眼をしていて、頭髪やヒゲは半白だが、顔の皮ふには若い者のようなツヤが残っている。……そのうち非常に香ばしい、いい匂いがしはじめたので、何だろうと思っていると、老人はそれと察したのかニコニコと眼を小さくして、焚火の灰の下をほりおこして、コンガリ焼けた饅頭のようなものをいくつかとり出して、その一つを手の平にのせてポンポンと灰をたたき落してから、私にさし出して食えというのです。何だろうと思いながら口に入れると、コンガリと焼けたソバ粉の匂いのする餅のようなもので、中に塩アンのアヅキが入っている。噛んでみると非常にうまいものです。「何ですか」ときくと「オヤキだ」という。ソバ粉をねってこうして食うのだと少年が説明しました。老人は少し歯の抜けた口を開いて気持よさそうに高笑いをしながら「水をくんでくるかの」と立上って向うの傾斜をおりて行きました。私は先日老人に会った時のことをちょっと言うと、少年は「ああ黒田の別荘づら、あそこに行ってる時のおとうに何か言ってもダメだ」そういいます。何かわけがありそうに思いましたが、それをきくのは失敬なような気がして、その日はそこでオヤキとお茶をごちそうになって私は立ち去りましたが、それ以来、その老人一家と知り合いになって、時々その家にも立ち寄るようにもなりました。その一家といっても、家族の全員はその老人とその少年と犬だけで、女気は一人もない。その家はあのカラ松林の落窪部落よりのはずれにあって、少年が黒田の別荘と言った例の山小屋までは、ほとんど半道以上も距離がある所にポツンと建っている一軒家です。老人は柳沢金吾という名前で、息子の少年が金太郎という名前だったのには思わずほほえんだことです。ただし金太郎君は金吾老人の実の子ではなく、小さい時に養子に貰われたもののようでした。金吾という老人はこの地方きっての精農家で、ことにこの地方は土地が高いせいで、秋から冬へかけて大変冷える――つまりいうところの寒冷地――その寒冷地における稲作については非常な研究と成績をあげている人である、ということがだんだんにわかってきました。居間から座敷の鴨居に、県や農会やなどから与えられた表彰状、褒状などがずいぶんたくさんかけられています。落窪の部落にある農民道場からなども農作の仕方について話をしに来てくれるようにと懇請されているらしいが、いくら請われてもそういう所へは行かないようでした。そして毎日コツコツ田圃仕事や畑仕事に精を出すだけで、ただ五日に一度一週間に一度と、あの山小屋に行っては部屋の中の掃除をしたり、古びてこわれかけた居まわりの修繕をしたり、小屋の外の畑の手入れをしたりするだけです。その山小屋とその周囲の山林は、なんでも東京の黒田という家の所有になっている、それの管理一切を老人は古くから委されているらしいようなことでした。こんなふうに私はこの一家と知り合いになっただけで、別にそれ以上立ち入るということもなく過ぎていましたが、そうこうしてるうちに夏もすぎて秋も深まってきたので、私は東京へ帰らなければならなくなり、金吾老人と金太郎君とも別れを告げ、宿屋を引きはらって東京へ戻ってきたのです。次の年もだいたいその辺に行きたいという気でいましたが、やがて時勢はますます急迫して太平洋戦争がはじまり、その間、ご承知のとおり日本はさんざんなことになって、戦争は終り、終戦の次の次の年、その秋の末頃です、もういくらか肌寒くなったころ、思いたって私は信州へ行ってみました。そして金吾老人の家へも訪ねて行きました。そしたら金太郎君は非常に立派な青年になっていましたが、金吾老人はその前年、――つまり終戦の年の次の年に、もうすでに亡くなっていました。……あの無口な人が時々私のことを話しだしたりしていたが、つい二三日、風邪ひきかげんだと寝ていた末にポクリとなくなった。その告別式の時には、非常に盛大なお葬式だったそうですが、金太郎君は私のことを大変なつかしがって、ぜひ泊っていけと何やかやとご馳走してくれるので、五六日私は泊りましたが――お墓参りもしました。お墓は部落のお寺にあるのではなくて、例の黒田の別荘という山小屋の建っていたところにありました。行ってみると山小屋はキレイに焼けおちてしまっていて、あとは柱のたっていた敷石だけが家のかっこうに残っているだけで、その片隅に金吾老人のお墓が――質素な小さなお墓がありましたが、そのお墓のちょっとわきにもう一つお墓があります。墓のおもてをみると戒名が彫ってあるのですが、その戒名の関係から女の人のお墓だとわかります。それで私は金太郎君に、「これは誰のお墓? たしかお父さんにはおかみさんはなかったと思うんだが?」ときいたら、金太郎君は、「いや、そうじゃないんですけど」と言葉をにごします。そいで私は金吾老人のお墓にまいるついでに、そのお墓にも水をあげて拝んで帰って来ました。その二人の後から例の犬のジョンが、これもションボリしてついて来ました。この犬もずいぶんの老犬になっていて、もうヨボヨボになって、よくみると眼がほとんど見えないらしい。それがトボトボ二人の後をついて家へ帰って来たのですが、その晩、火じろのわきで金太郎君から金吾老人の話をいろいろききました。しかし、いかんせん、金太郎君はまだ若くて、若い時の金吾老人の話は知らない。なんだったら「おとつあんはごく若い時から日記を書いている」と言って、古い机のひき出しにキチンとして入れてあったその――日記といっても小さな汚れた手帳で、それが五十冊近く、毎年一冊書く習慣らしくて、冊数は年数と同じなわけなんですが、それを出してくれた。ひらいてみると、粗末な日記帳で、それに鉛筆で書いてあることはほとんど作物のことや農事のことが書いてある、農事日記です。自分の生活のことはごく僅かしか書いてありません。何月何日晴とか、今日は何処そこへ誰といったとか位のことしか書いてない。しかし私はそれを全部めくってみました。と同時に[#「と同時に」は底本では「と同年に」]、金太郎君に聞くと、老人と終生仲の良かった、もと農事指導員をやっていたという、川合壮六という人が三四里はなれた町に健在だと言うので、訪ねて行って、金吾老人の若い時からのことをきくことができました。
以下、この物語に展開されるいろいろのことは、金太郎君の話と、川合さんの話を参考にしながら、金吾老人自身が書き残した日記帳をもとにして、年代順に並べただけのものであります。ちょうど日記帳の第なん冊目――明治四十年の分です――その真ン中ごろをひらくと――ここがそうですが――八月十日晴――そしてこれ一行だけ。馬流の壮六に頼まれ、東京の黒田様の案内をして落窪の奥へ行く――
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(朗読の尻にダブって、カパカパカパとダク足で歩いて行く馬のヒズメの音。やがてガタンゴトン、ギイギイと車輪のヒビキ)
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馭者 (ダミ声で馬に)おおら!(ムチを空中でパタリと鳴らして)おおら!
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(カパカパカパとひずめの音。――この音は背後に断続してズッと入る)
[#ここで字下げ終わり]
春子 (少女の浮々した声)あららっ!
勝介 (笑いを含んで)なんだな、春?
春子 だってお父様、あのそら、あすこに見えるあの山が浅間だと、
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