c
敦子 (笑いながら)いえ、別荘の方はお仙ちゃんがお寿司なんぞ持って来てくれたもんですから、春子さん嬉しがって、大騒ぎでね。そいで、みんなで山へ登るんだ、山へ登るんだと言ってきかないもんだから、こうやって引っぱり出されて来たの。したら、途中にきれいな花が咲いていると言って、お仙ちゃんと二人で夢中になっちゃって。でも金吾さん、昨日からこっち、しみじみお礼も申しませんけど、おかげさまで春さん、見違える程元気になったわね。当人があの調子だから、世話がやけたでしょうね。
金吾 ははは、なあに、俺の言うことはハイハイちってなんでもよくきいて下さるんじゃから。
敦子 でもホントによかった。敏ちゃんが知ったら、どんなに喜ぶだろう。
金吾 敏子さまは、その後お元気でやすかねえ?
敦子 あの子も連れてくりゃよかったわね。あんたの事を懐かしがってね、どうしても一緒に行きたいと言ってたけど、暫く前から内で、銀座の裏に支店みたいなものを出してね。私の甥の杉夫という子にそこをやらせることになっていましてね、その下で敏ちゃん、会計や帳簿を預かってやってるの。近頃世の中がこの調子でゴタゴタと、絹物の変動が激しいもんだから、一日も手を離せないもんですからね。だけど、暫くぶりでここへ来てみると、ここらはいいわねえ。静かというのか、耳の奥が何かしらキューンと鳴るような気がする。東京や横浜の近頃なんて騒々しくてね、戦争はだんだん拡がる一方だし、食べるものや飲むものは不自由になって来たし、ガアガア、ガアガアと、まるで気違い病院ね。久しぶりにこうして、ここにしゃがんでいると、なんか狐が落ちたような気がしますよ。
金吾 そうでしょうねえ。
敦子 金太郎ちゃんも、もうすっかり一人前のお百姓だわねえ。偉いわね。
金太 ふふふふ。(嬉しそうに笑う)
金吾 なあに、ナリばかり大きくても、へえ、お仙ちゃんがやって来ると、忽ち姉弟喧嘩をはじめるだから。(金太郎笑っている)
敦子 ああ、思い出した。この稲田は、あのそれ金吾さん、ずうっと以前、私達がはじめてここに来た時分、あんたが水田にするんだと言って、水を入れてかきまわしていたあの田圃じゃなくって?
金吾 そうでやす、あん時あ、黒田先生にも随分お手数をかけやして、でもまあやっとこうして、僅かばかりでもお米がとれるようになりやしてね。
敦子 そう、考えてみるとほんの二三年前のような気がするけど、あれから三十年の上もたっちゃってるのね。忘れないわ、たしかあなたがここを掻いている時に、春さんや私や、そいから敏行さんや、そうそう、あれはイトコの香川も一緒でしたっけ。八ツ岳へ登るんだと言ってここを通りかかってさ。案内に無理やりあなたを引っぱって行ったことがあったっけ。歌をうたったね、そうそう――札幌農大のうた――(ウロ覚えの歌の節で)
[#ここから3字下げ]
都ぞ、弥生のくも紫に――
[#ここで字下げ終わり]
金吾 (後をつけてうたう)都ぞ弥生の雲紫に――覚えていやす、ははは。
敦子 尽きせぬ香りに濃き紅や――(歌ってる内に涙声になって、うたえなくなってしまう)ばかねえ、若い時というものは。あの人もこの人も、人の心も知らないで――私もこうしておばあちゃんで、金吾さんもおじいさんになった。
金吾 まったくだなあ、ははは。(寂しく笑う)
お仙の声 (林の奥から若々しい)おーい、敦子おばさあん!
春子 (その尻に乗って、子供のようにはしゃいだ声)おーい、敦子さまあ!(二人はこっちへ走って来るらしい)
敦子 (ふり返って)そらそら、春子さんの極楽トンボがとんでくる。あの人だけが若い時分とおんなじよ。
金太 おーい!
お仙 (ハアハアいって近づいてきて)敦子さんのおばさん、こら、こんなダズマ!(犬のジョンがワンワンと駈け廻って吠える)
春子 こら、ジョンや、そんなにじゃれついてはいけませんこれジョン! 敦子さん、これごらんなさい、私のダズマの方がお仙ちゃんよりずっと多いわ、ね、金吾さんほら!
お仙 春子おばさんたら、私が見つけると飛びかかってきて先にとっちまうんだもの、ははは。
敦子 まあそう、キレイだわねえ、何とこの色!
春子 これ敦さんにあげる、そいから半分金吾さんにあげる、金太ちゃんにはこの飴玉あげる。
敦子 あら、春子さん、どこに隠してもっていたの!
春子 ははは、狡いでしょう私。
お仙 金太、もう、ここのかり干しすんだかや?
金太 うん(いいながら、春子から貰った飴玉を口に放りこんで、ガリガリ噛る)
金吾 さあて、これでよしと。
春子 あのね金吾さん、これから私達みんなで山へ登るの、ご一緒に連れて行ってくれない?
金吾 山でやすか。
敦子 あら、まだ覚えているわ。(春子に)でもねえ春さん、山はよしたらどう? もう今日は遅いんだし――
春子
前へ
次へ
全78ページ中60ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング