てうれしくて私は胸がドキドキして
なんにも言えず昇さんの手を握ったら
それがビッショリ濡れている
私は急に昇さんの顔が見えなくなりました

     9

だけど私たち人間の喜びは
なんとはかないものでしょう!
昇さんの言った人生の栄光は
ホンのつかの間の幻よ
人間はそうかんたんには救われない!
それから二三日たった朝
父の朝のおつとめの木魚が鳴り出しても
隣からコエダメの臭いがして来ないので
私はホッとしていたら
やがて臭いが流れて来た
すると木魚の音が乱れはじめて
コエの臭いは鼻がもげそうになって
しまいに本堂の方でガタンと言って
木魚の音がやんだかと思うと
お父さんがドシドシと足音をさせて外に出て行った
カンカンに怒ったお父さんがその足で
垣根の所に行って、いきなり首を突き出して
隣りの小父さんの方を睨みつけたと言うのです
――後で昇さんから聞きました
すると隣りの小父さんも気がついて
その日は鍬こそ振りかぶらないけれど
内の父の睨む目つきがあまりに憎々しいので
小父さんの方でも次第に喰いつきそうな目でにらむ
そのまま二三十分も両方で突っ立っていた末に
昇さんのお母さんがこちらに向っておじぎをしてから、小父さんの袖を引いて家に連れ込んで行ったので
やがてお父さんも本堂にもどって来たと言うのです
それ以来、またまた以前と同じように
三日にあげず睨み合いの喧嘩です
ああ、ああ、なんと言うことでしょう
火事騒ぎであれだけ我を忘れて
力を合わせることができたのに
もとのもくあみとは、なさけない!
お父さんにしてからが
そうやって喧嘩をしているのがホントのお父さんか
隣りの火事を消しに駆けつけたのがホントのお父さんか?
「どちらもホントなんだよ、光ちゃん
いいや、僕としては火事を消しに来てくれたのが
お宅の小父さんのホントの姿だと思いたいのさ
しかしね、垣根から内の父と睨み合ってる小父さんの真青な顔を見ていると
冗談でできる顔ではないからね
それもウソだとは思えない
つまり、どちらもホントなんだよ
内の父にしたって同じだ
火事のことでは君んちの小父さんに感謝してるんだ
そして、やっぱり良い人だと言ったようなことを言ってたんだ
それがあの調子で君んちの小父さんを睨みつけるんだもの
どっちもがウソでは無いんだよ」
昇さんはそう言うのです
「だけど、それでは私にはわからないわ
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