めったに痛まないけど
時々ズキズキする朝があっても
あの木魚の音とお父さんのお経を聞いていると
痛みが少しづつ薄らいで行くのです
ポクポク、ポクポク!
2
それはそうと、もうソロソロ八時だから
竹藪の小みちを通って
昇さんがここに来る頃です
昇さんはうちのお隣りの
花を育てる農園の一人息子です
私より二つ年上だから今十九で
私とは小さい時からの仲良しで
昼間はお父さんの手伝いで
温室の手入れや市場への切り花の荷出しで働きながら
夜間の学校に通っている
昇さんは毎朝のようにお父さんにかくれて
温室の裏をまわって
垣根の[#「垣根の」は底本では「恒根の」]穴をソッと抜け
竹やぶの径を小走りに
私のところに来てくれます
「光ちゃんよ、お早う!」
「昇さん、お早う!」
「元気かよ? 昨日の午後の熱はどうだった? 今朝はあるの? 痛むかい?」
「今朝は平熱で、それほど痛まない。昨日の午後は七度一分で大したことないの」
「そら、よかった。はい、花だ」
「まあ、きれい! ありがとう昇さん
もう春の花が咲くのね」
「今、父さんが市場へ持って行くのを自転車に積んでるんで
そっと一本もって来たんだ
ほら、フランス語初等科講座テキスト
やっと有ったよ」
「あらあらあら、有ったのね
実は私あきらめてたの
もう講座がはじまってふた月
いくらお父さんに頼んで捜してもらっても
町中の本屋さんに無かったのよ」
「僕も方々さがしたあげく
市場の裏の小さな本屋にたった一冊
残っていたのを見つけたんだ」
「どうもありがとう昇さん
お金はあとでさしあげるから」
「金はいいんだよ
切花の仕切の金は僕がもらってるから
それは光ちゃんに僕買ってあげたんだから」
「ありがとう昇さん
ありがとう昇さん」
「そらそら、また泣くのはごめんだぜ
僕はきらいだ」
「いいえ泣かない。ただ私、うれしいのよ
笑っているでしょ?」
「ははは、そうそう、笑う方がいいんだよ人間は
しかしそれにしても、おかしいなあ
そうやって寝たっきりの光ちゃんが
しかもお寺の一人っ子の光ちゃんが
どうしてフランス語など習うんだろ?」
「だって何を習おうと人間の自由でしょ?」
「それは自由だけどさ、つもりがわからない光ちゃんの」
「つもりがわからないのは昇さんだって同じだわ
だってそうでしょ、昇さんは農園の後をついで花作りになるんでしょ?
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