それまでである。自分の忍耐力がそれほど強大でないことは私が知っている。しかし、小説や戯曲に対する自分の忍耐力が普通の人の約一倍半ぐらいある事も私は知っている。その証拠は、そのうちに見せてやろう。私がウンザリしたのが、私の忍耐力の不足のためだとは、普通にいう意味では言えない。
「お前が、ゴウマンになってしまったからだ」と言われても、それまでである。自分がゴウマンなことを私は知っている。たとえば、孤立の不便と不利益を百も承知していながら、どんな党派にも派閥にも属したく無く、そして属していないほどにゴウマンな事を。また、たとえば、世評の高い宮本百合子の小説などよりも『戦歿学生の手記』中の一篇に百倍も感心しているほどゴウマンな事を。そうだ、普通これはゴウマンと言われる。だから異を立てるには及ばない。しかしホントの事を言うならば、それはゴウマンでは無い。私はそれほどケンソンな人間でも無いが、それほどゴウマンな人間でも無い。その証拠がほしければ――そうだ、これは、すぐに見せてやる。

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 私の読んだ戦後小説の作者たちの中に、小説製造販売業者とでもいわなければ、ほかにチョット
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