ン[#「ソフィストケイション」は底本では「ソフィストケィション」]そのものがこれまでの文壇的セクショナリズムの害悪の結果の一つなのですから。勝手に笑ったり怒ったり軽蔑させておけばよろしい。必要なことは、当人が何と言おうと、物と人とが道理にかなって在るべき所に置かれるという事なのです。
言うまでもなく、右の「大衆」作家たちが或る種の「純文学」作家たちよりもすぐれていると言う事と、その一人々々の「大衆」作家自身がそれ自体としていろいろの弱点を持っている事とは、別の事がらであります。その弱点に対してまで私どもが「これは大衆文学だから」と言うようなハンデキャップをつけて寛大であるならば、それは私たちの感傷だと思います。現に大仏や長谷川をはじめ、これらの作家たちが、そのソフィストケイションの中で、ほとんど無意識抵抗の形に陥っているところの一般文芸に対する「白眼」的無関心は、結局はまちがった「自己卑下」と名人気質的ゴウマンとの混合物であって、作家というものが当然に持っている持たなければならぬ謙虚や自信から逸脱してしまったものです。そしてそのために、彼等の作品活動の全部にわたって釘が一、二本たりな
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