る。帝劇なら帝劇で新劇の公演をやって、連日満員であってもたかだか、そのシバイの製作費と小屋代と税金が払えるか払えないかであって、その劇団全員の生活費に当てる金などまるで残らないのが普通だ。そういう数字が出ている。他の多くの場合も大体似たり寄ったりである。つまりシバイがヒットした場合にも赤字なのだ。しかもその赤字が小さなものではない。劇団全員がなんにも食わないでシバイをしなければならぬ程の赤字である。七〇パーセントの入りや四〇パーセントの入りなどと言うことになれば、赤字は破滅的なものになる。――つまり新劇の公演は成り立たないという事なのである。すくなくとも、これまでのような形の公演は成り立たない。その答えは既に出ているのである。幾度も幾度も出ている。日本の新劇人たちが、正常な近代人的な教養と道理とを持っているならばそれを認めていなければならぬ筈だ。そして、そのように不合理な新劇公演をフッツリとやめてしまうか、または、全く新らしい別の合理的な公演形態なり研究方針なりを採っていた筈である。ところが、わが新劇人たちは、異様に古めかしい所で停止してしまった知能を持っているだけで無く、熱狂的な「芸
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