抱かないで見ておれまいと思われる程度のシバイである。他はおして知るべし。
 新派のシバイとなると、小学校六年程度以下だ。もっとも、いまだにゲイシャやゲイシャのダンナやママハハやコンジキヤシャなどが主なるテーマであるシバイだから、小学六年以下では、なんのことやらわからんだろう。もしわかったら、トタンに腹を立てて飛びだしてしまうだろう。ごく少数の俳優たちが相当の「芸」だけを持っている。その「芸」は、ムダに、まちがって使われている。
 軽演劇は「媚態」で一貫している。媚態が良いという人には良いにちがいない。そして誰にしたって、媚態を欲する時はあるのだから、それはたしかに一つの存在として強い。しかし、もちろん、媚態というものは、本来の性質上、目的のためには手段を選んだりしない。ところが芸術は、これまた本来の性質上、目的のために手段を選ぶ。演劇は芸術だから、どちらかといえば、目的のために手段を選ぶ。だから、軽演劇が媚態だけに終始している間は芸術上の検討の日程にのぼせることには無理があろう。
 残るところは新劇だけだが、これだけが、辛うじて、われわれの考察の題目になり得ると思う。と言うよりも今日演
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