方が当っている。だから、自分でも困った。分裂のギャップを埋め、統一しないことには、ガマンができなかった。ばかりで無く、私自身の中の論理のためにも、これはジャマになった。だから、いろいろとやって見た。そして、分裂は埋まり、統一された。その経過のあらましを、次ぎに書きつけるわけである。
2
まず、彼女の書いたものを再三再四くりかえして読み、考え捜しながら、私自身の中をほじくり返し洗いあげた結果、次ぎのことが私にわかった。
宮本百合子が、唯単にブルジョア出身であるだけでなく、現に高度にブルジョア気質の人であるという事、そしてその点が他のどのような事よりも私の気に入らなかった理由であったことである。
――待ちたまえ。こう言うと、この言葉だけで、宮本の悪口を私が言っているのだと早合点をする習慣がある。とくに、今の日本の季節はそのような習慣の盛んになっているコッケイな季節の一つであるようだ。すなわち「ブルジョア」だとか「ブルジョア的」の語を、「豚!」だとか「カサッカキ!」といったふうの形容詞として受け取って、腹を立てさせたりする習慣だ。しかし私は、あまりそういう習慣を持っていない。だから、きわめて冷静な客観的な語としてこれを使っている。念のため――。
で、宮本のブルジョア気質は、たいへん根深く、かつ、たいへん明確なものである。作家をトクチョウづけるものは、常にあらゆる場合に、他のどのようなもの――たとえば政治的イデオロギイなど――よりも、その気質にある。宮本の場合もそうだ。それは、かなり徹底的に、一貫してブルジョア気質である。同時に、実はそれが彼女の背骨(バックボーン)になっている――つまり作家としての彼女を或る程度まですぐれたものになしている主なる支柱が、他ならぬそのブルジョア気質である。という、おもしろい関係になっている。
と言うことは、文芸作品について多少「読みの深い」人なら、たいがい、うすうすながら気が付いている事だ。そういう証拠があちこちにある。だから、宮本の作品を一つでも二つでもマトモに読んだ人なら、私がこう言っただけで、「なるほど、そうだわい」と思ってくれる筈である。しかし、これも念のため、彼女のブルジョア気質を証明していると私の思う例を、たった一つだけあげておく。『伸子』という小説がある。そこには、作者自身とおぼしい伸子という一
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