、耐え、そして真に生き、作品を書いている、お前の人生も作品も狭い。また、見方によって浅いとも平凡とも言えるかも知れぬ。物たらぬ点がいろいろある。しかしお前は美しい。あらゆる謙虚なものが美しいように美しい。お前はホンモノだ。小さいかも知れぬが、ホンモノだ。それを私も知っており、世間も知っている。そのお前が、どんなにひっくり返して見てもそれ自体として全く意味を成さないほどに偉大なる者の言いがかりに対して、そんな形でそんなふうにカンを立てるのは、なんという事であろう。それによってお前はお前自身を卑しめ、お前自身を侮辱しているのだよ。それによってお前は、お前に言いがかりをつけた者の低さにまでお前自身を低くしているのだよ。それが私は腹が立つのだ。お前はお前自身に恥じなさい。
 ――大体、そんなふうなフンマンでした。今でも多少感じています。
 その場合田村泰次郎についてどう感じたかですって?
 なんにも感じませんでした。鹿よりも象の方が目方が重いから象の方がえらいとか、この男が原稿三枚書く間にあの男は八十枚書けるから、あの男の方がえらいとか言う見方もあって、そういう見方もまんざらまちがいでは無い場合もありますがそれは主として物理的な問題ではないでしょうか。

 ただ、次ぎの事は一言して置かなければならぬ気がします。作家としての尾崎一雄の世界が片寄ってしまっているのが物たりないとか、また、尾崎が作家的手段として持っている「アミ」がいくらか古めかしく、純粋になってしまって、今のこの現代生活というものの流れに浮いたアクタモクタの全部は、尾崎の「アミ」に引っかからなくなっていると言うならば、それは或る程度まで当っていると思います。とくに戦争を自分のなま身でもって生き、通過して来た上で、今のこの荒々しい時代の中で、作家としての自我と仕事を確立して行こうとしている人間には、尾崎一雄流の人生観や創作方法では、やって行けないし、やっておれないし、やってはいけないとも言えるのです。
 田村泰次郎の尾崎に対する反ぱつも、意識的無意識的に、そこに根ざしている事は理解してやらなければなりません。そうでないと田村に対し不公平だと思います。
 つまり、田村が作家として意図している所は、なっとく出来るし、なっとくしてやらなければならぬ。しかし、あとがいけない。田村は尾崎よりも十倍もむづかしい所を意図しながら
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