念深く自分たちの立場を確保しながら、作品と作家についての具体的な批評をやって行かなければならないのではないかと思われます。
先ず大体、他人の事を言いおえました。そこで、こうして広言を吐いているのは一体なんでしょう? 私は本職劇作家のシロウト批評家です。つまり、モグリですね。このモグリ批評家の行う批評が、どんな立派なものであるか、またどんなに愚劣なものであるかは、次回からの文章でもってお目にかけるわけです。
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小豚派作家論――あるプロテスト
1
え? なんですって?
よくわかりません。あなたは何を言っていられるのですか?
「この問題も、いつまでもゴタゴタさせないで、もうよいかげんに整理して答えを出さなければいけないと思いますからね」
なんの問題ですか?
「ですから、風俗作家や肉体派作家たちと批評家たちの間の疎カクの問題ですよ」
ははあ、問題ですかそれが? 問題だとは思いませんね、私は。好きにやらして置けばいいではありませんか。ぜんたい問題というものは、あらゆる問題が、それを解決すればそこから多少とも良いことや進歩が生まれてくるものです。ところがあなたの言うような疎カクなどを解決したって、良いことなど何一つ生まれて来そうにはありません。噛み合わせたまま捨てて置けばよい。そのうちに両方で飽きて一人でに噛み合いをやめるでしょう。
「そんなヤケクソにならないで、あなたの考えを聞かせて下さい」
よろしい。ヤケクソにはならない方がよいかもしれません。私の考えを述べます。
批評家のことには、しばらく、ふれません。風俗派や肉体派さんたちの、作家活動の全体または個々の中に、文学や芸術の問題になりうる事がらが、どれだけあるでしょうか? 私は、ほとんどないと見ています。捜しても見つからないものですから、当人たちにも、実際において、文学や芸術を取りあつかっているという意識はないのではないかと思われるフシがあります。それを批評家たちは、文学や芸術を見る見方で眺めるものだから、事がコンガラかるのではないでしょうか。
それはむしろ主として群集心理だとか集団異常心理といったふうの社会心理学の研究材料、または商品のメイカアとセイルスマンとマーケットの相互関係、つまり商品学の題目を提供しているのではないでしょうか。もちろん、これも重大な真剣な題目
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