れに世間には私の頭のような悪い頭もあるかも知れないと思われますから、それを話し出してみる気になったのです。
それはどんな事かと言いますと、あなたも御存じのように、ジャナリズムの上やいろんな文化運動で書かれ言われているのは、その方法や手段はいろいろに違いますけれど、要するに「戦争はよしましょう」の一語につきています。中には戦争が起きないようにするために、これこれの国際機関を作れとか、これこれの運動に参加しようとか、これこれの主義を実行しようとか言ったような具体案を提出している向きもありますが、それらとてもよく観察してみると、実質的にやっぱり「戦争はよしましょう」の一語の域を出ていません。もちろん、この一語は貴重な一語であって、なんどくりかえされてもよいものですから、その事に異論をとなえる気がありよう筈がありません。しかし今どきこのスロオガンに反対な人がいるでしょうか? 戦争にはほとんどすべての人がこりているのです。なるほど或る人の調査によると、日本民衆の中に或るパアセンテイジで戦争を待ち望む気持を持った人々がいるそうですが――そして私もその事実を多少知っていますが――しかし、その調査でも明らかにされているように、そのパアセンテイジは低いし、また、それらの気持は現在の世界や国内の政治不安や生活の見通しの行詰りなどからの自暴的な脱出の手段として「戦争でもまた起きたら、なんとかなるかも知れない」と言ったふうのものです。不安定からの脱出に他の方法が見つかれば、ひとりでに解消するものです。ですからホントの意味の戦争待望とはいえないと思います。他は皆、戦争を嫌い恐れ避けたい気持を持っています。「戦争をやりましょう」と思ったり言ったりしている人がほとんどいない時に「戦争はよしましょう」というスロウガンは、スロウガンとしての意味をなさないのではないでしょうか? すくなくとも、ホントのスロウガンは、この程度のところに止まっていてはいけないのではないでしょうか?
考えなければならぬ事は、現在は第二次世界戦争の直後ですから一般に戦争嫌悪の気持が盛んになっているのは当然ですが、しかしいつの時代にもどこででも人は一般に戦争を嫌って来ました。純粋な形で「戦争をやりましょう」と望む人間、「喧嘩が飯より好きな」人間は、メッタにいません。いればそれはアブノルマルな型にぞくします。たいがいの人間が本
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