歳」と言ったふうの評論が現われたりする。と忽ち当の勤労作者がカーッとばかりにのぼせあがって劇作家たちの立ちおくれについてまくし立てたりします。かと思うと、現代劇の公演が全く採算が取れなくなっている状態やその理由や原因などの究明や解決法などを一切タナに置いて、或る興行資本家が小さな腐った小屋を一軒だけ当てがってくれるとカッとなってしまい、その小屋の運営についてまるでブロウドウェイの大プロデュサアのようにハタシまなこで論じた論文が現われたり――まだウンとありますが、一々書くのがメンドウくさくなりました。
それらの一つ一つが悪いと言うのではありません。それらはみんな、なにがしかのタメにはなっています。ただ、すべてがチンコロ的に見えるのです。チンコロが寄り合って、みんなむやみとマジメで大ゲサナ心もちと顔つきをして哲学か何かを論じていると言った風景がもしあるならば、これに似ているのではないかと思われます。もちろん、私もチンコロの一匹かも知れません。チンコロの中でも一番小さい一番キリョウの悪い一匹かも知れません。私がこれらの風景を眺めて、ただゲラゲラと笑い飛ばしてしまえないで、背なかに冷汗を流したりするのは、そのせいかも知れませんね。
チンコロたちは、世界の広さを知らな過ぎます。現代の深さに不感症であり過ぎます。今、世界のインテリゼンスが問題にしている問題を、演劇の部面から取り上げて考えて見ようとするような論文ひとつ、そこには現われていません。また、現代がそのために力闘している中心的な課題に向って演劇の光線を当てて眺めようとするようなエッセイの半かけらも、そこには現われていないのです。ウソだと思われたら十年前十五年前の演劇雑誌を引っぱり出してくらべてごらんなさい。ほとんど同じなのです。中にはそういう点で退歩している現象もあります。またウソだと思ったら、現代において最も代表的に高度に強烈に生きている各界の人々に今の演劇雑誌を読ませてごらんなさい。すべてが三分もしないうちにタイクツして雑誌を投げ出してしまうでしょう。
それほど世界から切り離され、時代から浮きあがってしまったのです。その切り離され浮きあがってしまったところで、そしてそのところだけでしか通用しない物々しいやり方で、いろんな事が論議されています。したがって、その論議から得られたいろいろの結論も他へ伝わったり作用した
前へ
次へ
全137ページ中92ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング