反省という名の下に流行しており、かつ、それをひどく良い事のように思う感傷主義もまた流行しているからです。それだけのためです。あなたやY君を傷つけたい気持など私に露ほどもないことを、どうか信じてください。
われわれは、もう、軽々しくは自己批判したり反省したりしないようにしようではありませんか。つまり、なるべく自己批判したり反省したりしないでもよいように一貫して誠実に、全身的に真剣に、事をしようではありませんか。しかし自己批判や反省をしなければならないとなったら、勇気と責任の全部を賭してそれをなし、以後同じような誤りや過ちを犯さない覚悟でしようではありませんか。そうであってこそ、われわれは幸福な真人間になることができると私は思います。いかがでしょうか?
2 論文について――ある綜合雑誌の編集者へ
Bさん――
あなたの雑誌に限らず、ちかごろの諸雑誌の論文類、ことに巻頭論文などを私はメッタに読みません。読んでもわからないし、時間がつぶれるだけで何の役にも立たないことが多いので。
いつかお目にかかった時に「あなたは読みますか?」とおたずねしたら、あなたは「いや、たいがい読みませんね」と答えられました。「すると購読者は読んでいるのでしょうか?」と私が言うと、「わが社の調査によると、百人中九十五人ぐらいは読んでいないらしい」と言われました。「そうすると、たしかに読んでいる人がどれくらいいるのでしょうか? いるならばそれはどんな人でしょう?」と私が問うと「たしかに読んでいる人が一人だけはいます。それは、その論文の筆者ですね」と答えられました。答えながら、あなたは実に完全に平静に落ちついていられました。かえって私の方が胸がドギドギした位でした。「ほとんどの人が読まないとわかっている文章に金を払ったり、それでもって巻頭を飾ったりしながら、それほど落ちついていられるのは、なかなか勇気の要る事です」と私がほめると、あなたは、はじめて我が意を得たりといったようにニヤリとして「そうです、私には勇気があります。オカシラつきの魚を持ち出して来る料理人と同じ勇気がね。カシラが食えないのは、先さまも手前たちも承知なのですよ。しかしとにかく綜合雑誌はオカシラつきの魚料理ですからねえ、なにはともあれオカシラのついている料理を好む購読者がたくさんいる限り、私の勇気も必要です」
私「でも、あなた自
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