日くりかえして四十年も飽きなかった人間はある意味で偉いにちがいない。そのような偉さだけをピカソの中に私は認める。
以上私がどんな風にピカソをつまらないと思っているのかあらましを述べたが、もし必要とあらばもう少し理論的に分析的にこまかくピカソ否定論を展開することはできなくはない。だがもともと美術作品の観賞や批評は非常に強く生理的な適・不適や好悪にかかっているものであるからこれをいくら理論的にこまかく広く展開しても結局はまた生理的なものへ舞いもどってくるものだ。だからこれだけで私はピカソについては言い尽くしたと言えないこともない。とにかくこれは理屈ではない。ピカソの絵を見て私がこう思ったということの報告である。世の中には私と反対の見方をする人が多いかもしれない。いや現に多い。しかし私は私の評価をそのために撤回する気にはならないであろう。
なお世間には岡本太郎流のピカソ否定論があちこちにあるが、それらを重要視することは私はできない。それらはほとんど皆小さなショウマンが大きなショウマンを嫉妬したり邪魔にしたりして否定しているだけであって、鳴りはためいている大太鼓の中で小太鼓が騒いでいるようなものであって格別の意味をなす発言だとは思われない。なおわれわれが絵画ことにヨーロッパの絵画を論ずる場合には常にそうであるが、今ピカソの場合も私が見たピカソのオリジナルはごく少数であってほとんどその複製であったということは申しそえておかねばならぬだろう。複製を見ただけでまるでオリジナルを見たと同じように思う思い方は考えようではコッケイであるが、そしてできるならばオリジナルを見るにこしたことは言うまでもないが、しかしこのことはある程度まで止むを得ないことであって、今となってはある程度まで許されることだと私は考えている。
[#地付き](一九五七年六月中旬)
底本:「炎の人――ゴッホ小伝――」而立書房
1989(平成元)年10月31日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:伊藤時也
2009年3月24日作成
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