\枚でも送って見ろと言って来てる。テルステーグさんも水彩画なら買ってやろうと言うんだ。良い絵さえ描けるようになりゃ、金はいつでも手に入るんだから――
シィヌ だのにあんたは、スケッチや水彩画なんぞサッパリ描こうともしないで、そんな汚ならしい真っ黒な絵ばかり描いているんだもの。
ヴィン 頼むから、クリスチイネ! 僕はサロン絵かきになろうとしているんじゃない。僕はホントの人間が描きたい。ホントの自然が描きたい。どんなに真っ黒で汚なくても、ここん所を卒業しないと駄目なんだよ。ね、頼むから、もう少し描かしてくれよ。じゃ、歌は歌ってもいいから、足を動かすのだけでも止めてくれ。
シィヌ いいわよ、じゃ。早くしてね、すこし寒くなって来ちゃった。
ヴィン すぐだ。(再び画面に向い、喰いつくような眼でシィヌと絵とを見くらべる)
シィヌ そのパンを少しおくれよ。おなかが空いちゃった。
ヴィン え、パン?
シィヌ そのさ、木炭を消すのさ。
ヴィン あ、これか……そう、じゃ……(と手元のパンのへりの所を割って、シィヌに投げてやる)ほら。
シィヌ なあんだ、へりの所ばかりじゃないのよ。中の軟かい所、おくれ。
ヴィン これは消すのに要るから、かんべんしてくれ。その代り僕はひとかけらだって食べはしないから。残ったら、みんなお前にあげる。
シィヌ しょうがないわねえ。(パンを噛み噛みポーズ。隣室で幼児が泣き出す)
ヴィン ああ、ヘルマンが、眼をさました。チョット行っておやりよ。
シィヌ なに、いいのよ。近頃、夜と昼をとっちがえてしまって、ゆんべもロクに寝てないから、うっちゃって置けば夕方まで寝てる。(幼児の泣声やむ)
ヴィン ……君は、自分の生んだ子に、どうしてそうじゃけんに出来るんだろうな?
シィヌ フフ、あんたはまた、自分とは何の縁もない私の連れ子を、どうしてそう可愛がれるの?
ヴィン そうさな、どうしてだか、自分にもわからないね。可愛いんだ。……そういうタチなんだろう。さてと……(絵に没入して行く、ガスガスガスと木炭の音。遠くで汽船のボウが鳴る)
シィヌ ああ、船が入ったな。
ヴィン うん?……(うわのそらで描いている)
シィヌ ハトバじゃ、いっぱい人が出てるよ、きっと。
ヴィン うん。……(描きながら半ば無意識に)いっぱい、人が、出て……人は、黒く見える。……肌の色は、ここん所がホンの少しカドミュームの混った白で……そいからオリーヴ、ここにオークル。そうさ、着物はブルウ・ブルッスであったり、赤やこげ茶もあるが……遠くから見ると黒く見える。ボリナーヂュでも黒かった。……黒の中にはすべての色が在る。
シィヌ あたしの黒のブラウズねえ、今のはもう痛んじゃってるから、入院するまでに新しいのを一枚こさえてくれない?
ヴィン うん。……こさえては、いけない。(返事ではない)見える通りに、描くんだ。……天使を見たこともないのに、天使を描けるものか。……(夢中で描き進む)
シィヌ (そういうことには馴れているので、勝手にしゃべる)だって、あたし、今度のお産では、もしかすると死ぬような気がするの。さんざん無理をした身体ですもん。病院の先生も、今度はちょっとむずかしいかも知れないって。
ヴィン え、死ぬ?(ヒョイと呼びさまされて)誰が――?
シィヌ ですからさ、ブラウズだけでも新しくなにしたいのよ。せめて死ぬ時ぐらい身ぎれいにしていたいじゃないの?
ヴィン いや、そんな君、そんな、シィヌ――どうしてそんなこと考えるんだ?(シイヌの所へ行き、肩をつかむ)――僕と言うものが居る。たとえ、どんなことがあっても――
シィヌ だってさ、あたしなんぞ、いっそ、その方が良いかも知れないんだ。小さい時から、腹一杯食べたこともない、大きくなると皿洗いや洗濯で骨がメリメリ言うほど働きづめ、そいからモデルになったり、ルノウの小母さんに引きまわしてもらったりしている内に五人も子供が生れちゃってさ。それも一人一人父親が誰だか、わかりもしない。……(自分で自分の話に悲しくなって涙を流しながら)せめて、今度の子が、あんたの子だったら、私、よかったと思うけど。
ヴィン いいよ、いいよ、そんなこと、気にしないで良い。生れて来たら、僕は自分のホントの子として育てて行くよ。心配しないでいい、大丈夫だ、ね、シィヌ! (抱きしめて、頬に激しくキスする)僕は君が好きなんだ!
シィヌ ううん。(おとなしく、されるままになりながら)ちがう。あんたはホントは私が好きじゃないのよ。あんたは、やっぱり、その、よそへお嫁に行っちまったケイさんとか言うイトコの人に惚れてんだわ。
ヴィン ケイのことは言わないでくれ。
シィヌ そらごらんなさい。そうなのよ。
ヴィン そんなことはないといったら。その証拠にこうして君と一緒になって暮
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