チちに向けると、りんごが四個置いてある)いくらだとおっしゃるから、二十フランと申し上げたらね、四つは多過ぎる一つだけ欲しいとおっしゃってね。(こちらの三人は、びっくりして見ている)
タン しかし、一つだけと言うのは――
夫 いや、その、なにしろ、あっしの所では今度、スッカリ店の手入れをしましてね、その方に金をつぎ込んでしまって、この――あっしはラピック通りで八百屋をやっていまして、今度、まあ果物も置くようにしまして、この――いえ、今日は、家内の妹の誕生祝いによばれましてね、その帰りでさあ、そこの窓でチョットこの、絵を見かけたもんで、家内とも相談しましてね――
婦 (まだ二十くらいのパリの下町の、あまり教育のない、しかし可愛い嫁。ういういしくはにかんで)とても、あの、良い絵だもんですから、ロベールに私が言ったんですの。果物の店は、あの、綺麗にして、なんですわ、美術的にして置かないとお客さんが寄り付いて下さらないから――
夫 そいでまあ、このりんごの絵なら飾っとくのに打って付けだと思いましてね。そこで、こんなに絵具がたんと塗ってあるんでやすから、二十フランは別に高いとは言うんじゃねえんですけどね、この、店の手入れに、えらい金がかかったんでね、まあ、一個だけ売ってもらえるとありがたいってわけで、なんでさ、四つで二十フランだから一個なら五フラン――
タン ……(さっきから、たまげ切って口だけパクパクさせていたが)だが、一個だけ、この、売ると言っても――そりゃ、せっかくの何だから、なんですけど、とにかく、四つ、こうして描いてあるんだから、それをあんた、どうして――
おかみ じゃ、これ、ハサミで切り取って差しあげたらどうだろう、一個だけ。ね、そうすりゃ、また残りも売れるんだから。(棚から大鋏を取り出す)
タン ま、ま。待ってくれ! 困ったなあ。いえね、これはあなた、セザンヌと言う、この、まあ天才の絵かきさんの描いた絵でございましてな。
婦 はあ、ホントに立派な絵ですわ。うちのロベールは美術品には、それはもう眼がないんですの。
タン ですけどね、この切って売ったとなりますと、セザンヌさんがガッカリなさるだろうと思いましてな、この――
夫 わたしんちなんざあ、どんな果物でも一個売りをことわったことあねえんですけどねえ。お客有っての商売だからね。
おかみ いいじゃないかねお前さん、こ
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