ヲる。(熱してしゃべっているので、店内に居る人たちを眼で見ながら見ていない)
シニ (これは一同を見て、一人一人に黙礼でうなずきながら)しかしね、マチェールは結局、その画家の本質に根ざしたものなんだから、その画家の個性そのものだと言えはしないかねえ? 少くとも個性の一部分じゃないかな。
ヴィン ちがうよ! ちがうんだ! いやいや、君の言うのは、それはそうさ。たしかに、マチェールは画家の個性そのものだ。僕の言うのは、そのことじゃないんだ。つまりね、つまり、どう言えばいいのかな? そうだ、画家が絵筆を取る前に、その画家の中に準備され、火をつけられて存在しているものだ。そのことなんだ。つまり、画家の生命そのものだよ。それが、どっちの方向を向いているかと言うことだよ。それが、どんな色で燃えているかと言うことだよ。何をどんな風に描くかと言うことを、最初に――そして、だから最後にだ、決定して来るもののことだよ。マチェールはその次だ。その一番大事なもののことなんだ。それがギョーマンに欠けている。不足している。僕はそう思うんだ。ギョーマンは良い画家だけど、それが不足している。すくなくとも、昨日あの人が見せてくれた「砂利人夫」には、それがない!
シニ しかし、僕にはあの「砂利人夫」は良く描けていると思ったがなあ。
ヴィン 良く描けているよ! そりゃ、そうだ。それを否定しているんじゃない。そうじゃないんだ。わからんかなあ、僕の言うのが? つまりね、つまり、ギョーマンは、労働している、砂利をシャベルでしゃくっている労働者を描いているんだよ。そうだろ? 労働者と言う、この、ホントの人間を描こうとしているんだ。だのに、ギョーマンは、ただそれを、花だとか樹だとか言うものと同じようにだな、つまり美の素材、絵の対象としてだけ描いている。それは間違っている。花や樹を描くんだって、実は、そうであってはいけないんだが、人間を描くのに、それでは間違いだ。現に、そのために、あのギョーマンにして、絵がウソになっている。虚偽だよ。どんな画家だって、美のために虚偽を犯してよいとは言えない。そうじゃないか、だって、あの「砂利人夫」が、シャベルをこう持ってだな、腰をこうして、左足をここに置いて、こうやっているのは、あれはウソだ。僕は炭坑に居たし、いろんな労働者をよく知っているから、言えるんだ。こうしてだね、シャベルが
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